松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラ水泳・成田真由美。多くの挫折を
経験しても「楽しい人生」と言える理由。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/11/18 07:00
普段の活動からサポートをしている棟石理実さんと成田真由美(右)さん。多くの人との絆で彼女の活動は支えられている。
ライバル選手の自宅に金メダルを置いてきた!?
松岡さんが名前を挙げたカイ・エスペンハイン選手は、成田さんが初めて出場したアトランタ大会からライバルと呼べる存在だった。アトランタで成田さんは2つの金メダルを獲得したが、カイ選手はそれを上回る3つの金メダルを獲得。輝くオーラに圧倒された。
成田さんは、彼女に勝てなかったという悔しさが、4年後のシドニー大会でカイ選手を上回る6つの金メダルを獲る原動力になった、と話す。だが、シドニー大会の2年後、カイ選手の母親から突然の連絡を受け、彼女の命が危ないことを告げられる。成田さんとカイさんの間には知られざる深い絆があったようだ。
成田「私、アトランタから北京までパラリンピックの直前に手術を受けることが多くて、満足に練習して臨めた大会って一度もないんですね。アトランタ大会の後も肩を壊したり、子宮筋腫の手術を受けたりしたけど、カイに勝ちたくてシドニーまで頑張った。で、ようやくカイに勝てたんです。
そのシドニー大会後に、私も体調を崩して入院(面会謝絶の重体となり引退も考えていた時期だ)したんですけど、カイのお母さんから連絡があって『娘の命はあと1カ月なのよ』って。それで一生懸命千羽鶴を折って贈ったんですけど、それが届く1日前にカイは34歳で亡くなってしまったんですね。
それこそ悲しみは深かったですし、私も体調は良くなかったんですけど、でもカイが生きていたら絶対にアテネを目指したと思うから、アテネに行ってカイの分までメダルを獲りたいって頑張った。アテネで金メダルを7つも獲れたのはカイのおかげなんです。
7つのうちの6つが世界新記録で、唯一記録を更新できなかったのが50mの背泳ぎ。これはカイが世界記録を持っている種目なんですね。だから、この背泳ぎで獲った金メダルはカイのものだと思って、アテネの翌年にドイツを訪れて、お母さんに手渡してきたんです。お墓に連れていってもらったり、カイが泳いでいたプールで泳がせてもらったり、カイのお友達と話をして、そこでようやく私のアテネが終わった気がした。カイは永遠のライバルです」
「私に伝えたいメッセージがあったと思うんです」
松岡「真由美さんはドイツ語が喋れるわけでもないでしょ。カイさんとも最初から意思疎通ができたわけでもない。それなのになぜそんなに心が通じ合えたんですか」
成田「それが不思議なんですよね。歳は2つ違いで近かったですし、同じような障がいを持っている縁もあった。私はアトランタで会うまで、カイ・エスペンハインという名前しか知らなくて、すごくいかつい女性だと思っていたんです。でも、実際は細い方で、声もすごくきれいで、ハグするといつも良い匂いがするんです。
アトランタの時も彼女はメダルセレモニーの時にぜん息の発作が出て、スプレーで処置したりして大変そうだったんですけど、私が良いタイムで泳いだら『おめでとう!』って声をかけてくれて。カイとゆっくり話せるのって通訳さんがいた食堂だけだったんですけど、良い思い出がたくさんある。
シドニーが終わった後に『また入院するの』と聞かされたときは、私が『なんでカイばかりそんな苦しい思いをしなきゃいけないの』ってビービー泣いちゃって。そうしたらカイが『私は元看護師だから大丈夫よ』って。確かそれが最後の会話だったと思うけど、わざわざ遠く離れた日本にいる私に命が危ないことを連絡してきたってことは、カイが私に伝えたいメッセージがあったと思うんです」
松岡「それは……」
成田「泳ぎ続けること。私が現役で泳ぎ続けている間はカイは私の中で生き続けてくれているし、今も良いライバルだと思っている。カイの存在があってすごく練習を頑張れたし、カイの記録はそれほど速かった。カイの記録をラミネートして、つねにプールサイドに置いてましたからね。カイは私にとってすごくプラスになれる人なんです」