松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
パラ水泳・成田真由美。多くの挫折を
経験しても「楽しい人生」と言える理由。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/11/18 07:00
普段の活動からサポートをしている棟石理実さんと成田真由美(右)さん。多くの人との絆で彼女の活動は支えられている。
「今のプールは私にとっては家の次に大事な場所」
松岡さんは体を縮め、「シュー」とひと言。一瞬の間が空き、その滑稽な仕草にみんなが笑い転げた。対談も終盤に入り、松岡さんがこの質問を繰り出した。
松岡「いよいよ2020年が近づいてきた感があるんじゃないですか」
成田「まだ来年のことなのでぜんぜん頭にないです。私には何年先というスパンがないんですよ。とりあえずは目の前の目標に向かって、今は世界選手権のことしか考えていないです」
松岡「でも、東京が来るから復帰したんですよね」
成田「いえ、本当は私、リオに出るつもりもなかったんです。復帰はしたけど、出られるとも思ってなくて。国内のレースで頑張ろうという気持ちだけだったので」
松岡「そうなんだ。でも、2020年には出たいでしょ?」
成田「来年の3月に選考会があるので、そこで勝てれば。代表選手になりたいという思いと、まだ先すぎて考えられないという気持ちと、今はまだ半々ですね」
松岡「じゃあ質問を変えます。2020年までにしたいこと。選手としてでも良いですし、組織委員会の理事の1人としてでも良いです」
成田「やっぱり障がいを持つひとがもっと住みよくなるために、少しでも力になりたい。私にはサクラスイミングスクールがあって毎日泳げる環境があるんですけど、中にはまだ泳ぐプールを探すところから始めないといけない選手もいるので」
松岡「真由美さんにとってこのプールの存在は」
成田「私にとっては家の次に大事な場所かもしれないです」
松岡「だいぶ年季が入ってますけど」
成田「そうなんです(笑)。入口にも段差があって、バリアフリーでもない。古い建物なんですけど、段差だって1段だけなら前輪のキャスターをウィリーのように少し自分で上げて乗り越えられるんですよ。通って24年になるけどいまだにスロープにもならないことが私にとってのバリアフリー活動なのかなって。ただ、それはスロープをつければ良いという問題ではなくて、自分ができることを尊重してくれているのがここサクラスイミングなので。本当に必要なときに快く手を貸してくれるのが、私にとっての居心地の良さです」
松岡「第2の故郷って感じですね」
成田「ここに来て塩素のにおいを嗅ぐと、フワーンとして落ち着ける。会員さんとおしゃべりする時間も楽しいんですけど、最近は練習がハードで、私がシャンプーをしてプールから上がったときにはもう誰もいない。それがちょっと寂しいの」
松岡「会員さんは真由美さんが足だけでなく、手も使えないのを知っているんですか。すべての指が動くわけではないんですよね」
成田「はい、こっち(左手)はグーのまま。でも、あえてそれを知ってもらう必要もないし、知らないひとも多いと思います」
松岡「当たり前だけど、それだと泳ぎにくいじゃないですか」
成田「それよりもキックができたらどんな感じだろうとは思いますね」
松岡「かえってね、そう思うんだ。最後に僕はどうしてもこれだけは聞いておきたいんだけど、真由美さんの最大のライバルがいたじゃないですか。カイ選手とのやりとりや関係性が、真由美さんの著書を読んで僕はこれぞパラリンピックだと思った。ぜひその話を聞かせて下さい」