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7人の野球部育ちの“バズーカ捕手”。
加藤匠馬は中日変革の象徴となるか。
posted2019/03/23 09:00
text by
渋谷真Makoto Shibutani
photograph by
Kyodo News
日本人の何割が知っているのか定かではないが、業界団体は「まつさかうし」と表記する(『まつさかぎゅう』とも読む)。そもそも「松阪」は濁らないし、ニュースキャスターも「ぎゅう」とは読まない。そうはいっても三重県松阪市は知名度が高い。
しかし、市内にある飯南地区のことを知っている人はぐっと少なくなるはずだ。
伊勢茶の産地として県内では知られる飯南は、平成の大合併で松阪市に編入されるまでは町制を敷いていた。のどかな山あいの集落に、薫り高いお茶と並ぶ自慢が生まれるかもしれない。
そんな小さな町で育った野球少年がいる。
加藤匠馬。
今シーズン、与田剛監督率いる中日ドラゴンズの正捕手に抜擢されようとしている。
中学の野球部は全員で7人。
「今は松阪市ですけど、僕が生まれたころは郡でした。僕が通っていた小学校は、学年5人しかいなかったんですよ」
いきなりインパクト強めの回想である。加藤の母校は仁柿(にがき)小学校。近隣の学校と統合され、今はない。のどかすぎる環境で育った加藤が、野球を始めたのは小学2年のとき。地域の大人たちが「飯南の子にも野球をやらせてあげたい」と町内4小学校の合同チーム(飯南野球クラブ)を起ち上げた。
その4校が学区となる飯南中でも、軟式野球部で続けた。こちらは学年50人、野球部は7人。そこからプロ野球選手が育つとは、地域の誰も、いや加藤本人も思っていなかったに違いない。
「だって僕、(進学先の)三重高には一般入試で入りましたし、野球部でも軟式出身ってだけで練習メニューが違いましたもん。まずは硬式に慣れましょうみたいな。3年間辞めずにがんばること。それが(当初の)目標でした」
中学では投手兼遊撃手。捕手ですらなかった。県下屈指の強豪、三重高の1年夏に捕手に挑戦する。