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若き日の川崎宗則がした本物の練習。
ソフトバンクの若手に足りないもの。 

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byKyodo News

posted2019/01/04 11:30

若き日の川崎宗則がした本物の練習。ソフトバンクの若手に足りないもの。<Number Web> photograph by Kyodo News

24歳の川崎宗則。出身地・鹿児島で自主トレ風景。複数のタイトルや賞を獲っていたが、練習の厳しさは変わらなかった。

川崎宗則という若手選手の思い出。

 筆者がホークスの取材活動を始めたのが‘02年だ。

 3年前に福岡移転後初優勝。翌年もリーグ優勝を飾りONシリーズを実現させるなど暗黒期を脱して間もない頃だった。だが、その礎を築いた工藤公康はすでにチームを去っており、そして秋山幸二が‘02年限りで現役を退いた。

 ホークスは次なる世代である小久保裕紀や松中信彦、城島健司、井口資仁あたりが中心選手となり、本当の常勝軍団を築き上げようとしていた時期だった。

 そして、その当時ピチピチの若手だったのが川崎宗則だった。

 ‘99年ドラフト4位でプロ入り。入団当初を知る人は皆、「とてもプロで通用するとは思えなかった」と声を揃える。

 まず体力がない。

 打撃技術は高かったが、守備は絶望的にひどかったという。しかし、川崎はその後常勝ホークスのレギュラー遊撃手を立派に務め上げ、ゴールデングラブ賞も2度受賞した名手となったのだ。

極端に地味な練習を毎日2~3時間も。

 川崎が若手だった頃の練習を忘れることはない。

 シーズンオフだ。西戸崎にあった合宿所の隣の室内練習場へ毎日足を運ぶと、必ず同じ練習を繰り返していた。

 苦手だった守備を克服するため、基本となる姿勢を体に染み込ませていた。5mほど向こうからゆっくりとボールを転がしてもらう。捕球姿勢のままじっと待つのだ。ボールはなかなかやって来ない。膝や太もも、腹筋が震えてくる。でも、ひたすら待つ。

 ようやく捕球したら、胸の前に両手を持ってきてスローイングの姿勢を作る。そこも同じようにゆっくりと行う。

 地味~な練習だ。小学生や女性だって覚えれば出来る“作業”である。

 ただ、川崎は毎日それを2時間ないし3時間ぶっ続けでやっていた。夜も寮長らに頼んで同じ練習を行っていたと聞いたことがある。眺めるのも退屈だったが、やっている川崎本人の方がその単調さに参っていた。

 何度も「アー!」と奇声を上げて、気持ちを何とか持たせながら、反復練習を繰り返した。その横では先輩選手たちが颯爽とノックを受けて華麗なプレーを見せていたが、ただ捕って投げることを繰り返したところで、本当の意味で上達するのだろうか。遊ぶウサギを追い抜くカメのごとく、それ以来、川崎の守備はメキメキと上手くなっていったのだった。

【次ページ】 若手を測るものさしは「川崎」。

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