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昔は甲子園を目指したバレー選手。
高橋健太郎を変えたひと言とは。 

text by

田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2018/08/22 08:00

昔は甲子園を目指したバレー選手。高橋健太郎を変えたひと言とは。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

高橋健太郎の変化に、中垣内祐一監督も「バレーに臨む姿勢が変わった」と評価する。

自分の形にとらわれすぎでは?

 スパイク練習の際、どんな球を打ってもつねに首をひねるばかりの高橋に、富松は言った。

「自分の形にとらわれすぎじゃないか? もっと周りの人を見て、真似するところから始めればいいし、難しく考える段階じゃない。全部やらなきゃと思うかもしれないけれど、スパイクがよくなればブロックもよくなるし、サーブもよくなる。まずは1個ずつでいいんじゃない?」

 富松からすれば、何気ない一言だった。

 自身も大学を卒業してすぐに日本代表へ招集された頃、スパイクがうまく行かず、練習から食い入るように他の選手を見ていた。

「何かのヒントになれば」

 そんな気持ちで発した富松の一言が、高橋には強く響いた。

スパイクも1本ずつ考えて打つ。

「それまでは足りないことを指摘されるばかりだったから、あれもダメ、これもダメって思っていたんです。でも富松さんから『健太郎はデカいわりに動けるんだし、1個ずつやっていけばいい』と言われて、それでいいんだと思えて。まずはスパイクを頑張ろう、今はこれをやろうというのが見えたら、余計なことを考えずにできるようになりました」

 力任せに上から叩きつけようと思っていたスパイクも、ブロッカーの手やトスとのタイミングで奥に打ったり、当てて飛ばしたり、1本ずつ決め方を考えて打つ。

 ブロックも間に合わない時には諦めていたが、キルブロック(※両手を相手コートの方へ斜めに突きだして、ボールを真下に落とすブロック)にこだわるのではなくタッチを取るだけでも仕事は果たせる、そう考えれば諦める理由もなくなった。

「できない、できない」ではなく、「1本できた。また次もできた」。

 小さな変化や手応えかもしれないが、その些細な違いが高橋にとって自信に変わっていた。

 世界選手権に臨む今シーズン、日本代表として世界各国を転戦したネーションズリーグはまさにそんなきっかけを得る絶好の機会だった。まだ粗削りさは否めないが、体を絞り、食事や日常生活にも気を配り、体重も10kg落とした。

【次ページ】 中垣内監督も一生懸命さを評価。

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