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昔は甲子園を目指したバレー選手。
高橋健太郎を変えたひと言とは。
posted2018/08/22 08:00
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Kiichi Matsumoto
好調。不調。うまくいかない。何か違う。
トップアスリート、と呼ばれる立場になれば、ほんの些細な感覚がその日やその試合のパフォーマンスに直結する。もちろんそれは技術やフィジカルのみならず、メンタルも同じ。
あまりよくない。そう感じても、それを表情に出したら終わり。できるだけ周囲には気づかれないように、些細な「何か」を試合の中で修正しようと努める選手が大半である中、高橋健太郎は違う。実にわかりやすい。
「自分の感情がごまかせないんです。ガーッと上がる時もあれば、どん底まで落ちる時もあるし、怒りも抑えきれない。今思うと、余裕がなかったんですよね」
初めて日本代表に選出された筑波大時代も、大学生として出場した試合で頭に血が上り、物に当たったこともあれば、U20代表で海外のチームと試合をした際、相手の挑発に乗りあやうくケンカになりかけたこともあった。
少し恥ずかしそうに「単純なんです」と笑いながら、こう言った。
「気にするところが違ったんですよね。周りからどう見られているのか、ということばかり気になって仕方なかった時もあったし。でも今はすごく充実してバレーボールに取り組めているから、周りのことはどうでもいい。たぶん今が一番、バレーボールが楽しいです」
中学までは甲子園を目指していた。
中学までは野球部で、高校に入ったら本気で甲子園を目指そうと思っていた。
だが肘のケガで野球は断念せざるを得なくなり、当初はバスケットボール部に入ろうと思っていたが、周囲の勧めもあり高校からはバレーボールを始めた。身体能力が高く、身長もただ高いだけでなく、動きも機敏。ミドルブロッカーでも、オポジットでもどちらでも対応できる選手になるのではないか。2014年に日本代表候補へ初選出された理由は、そんな期待の表れでもあった。
翌年のワールドカップでは同世代の柳田将洋、山内晶大、石川祐希と共にアイドルのような扱いで多くのメディアにも露出。元来目立ちたがり屋でもある。過度に注目されているとわかっていても、最初は楽しかった。