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4人連続で新潟の主将が他クラブへ。
なぜ今、磯村亮太がJ1長崎移籍?
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![大中祐二](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
大中祐二Yuji Onaka
photograph byJ.LEAGUE
posted2018/08/05 08:00
![4人連続で新潟の主将が他クラブへ。なぜ今、磯村亮太がJ1長崎移籍?<Number Web> photograph by J.LEAGUE](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/d/0/700/img_d0a512b97eb0a52d933977f91d1f7180153794.jpg)
アルベルト・ザッケローニ監督体制下の日本代表に招集された経験を持つ磯村亮太。このタイミングで新潟を離れることになった。
決断は逃避でも私利でもない。
急転の移籍だった。クラブは7月16日、FC東京からMF梶山陽平を期限付きで獲得。その後、長崎からオファーが届いた。磯村の長崎への移籍のリリースが出る30日までの2週間を、木村康彦強化部長は次のように振り返る。
「磯村本人も、このタイミングでオファーが来るとは思っていなかったのでは。彼に伝えたのは、キャプテンだし、ましてやこういう状況なので抜けられるのはチームとして本当に痛いけれど、自分自身がどうしたいのかが重要だよ、ということ。とても悩んだと思います。最終的に、クラブとしても磯村の決断を尊重しました」
決断が、決して何かを放棄したり、逃避したり、私利を求めた結果ではないことを、仲間が証言する。千葉戦の2日前。トレーニングが終わった後、磯村はベテランの富澤清太郎とピッチに座り込んで、いつまでも話し続けていた。
富澤の言葉には無念さと怒りが。
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「話していたのは、今回の移籍について。去年の夏から一緒に戦ってきて、イソとは心が通じ合う部分があった。彼は客観視できるし、一歩引いた目でチームを見ることができた。だから、“新潟のために”というのがいつも芯にあった。
試合に出ている、出ていないで多少、気持ちにムラはあっても、どうすればチームのためになるか考えられる。本当の意味で大人の選手だった。何より自分を犠牲にできる。イソにはずっと新潟を引っ張って行ってほしかった。彼の代えになる選手はいない。でも、僕たちは新しいもので埋め合わせていくしかない」
富澤の言葉には無念さとともに、静かな怒りのようなものが入り混じっていた。
それが最後になった。千葉戦の前日、非公開となったトレーニングに磯村は参加せず、その最中にクラブハウスを後にした。
木村強化部長との話し合いの中での、「彼の言葉を借りれば、“自分がしっかりプレーできていないのに、チームのことを言えない”」という磯村の発言がつらく、切ない。
こんな状況、誰も望んでいなかっただろうに。