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長友のいないサンシーロは寂しい。
インテリスタが嘆くユートとの別れ。
posted2018/02/07 11:00
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images
長友佑都はもうサンシーロにいない。
小さなジャッポネーゼは、冬の移籍市場最終日にインテルからトルコの強豪ガラタサライへの移籍が決まり、イスタンブールへと旅立った。
今年創立110周年を迎えるインテルのクラブ史上、1試合でも出場記録を持つ選手の数は900人以上に上る。
7年前、連綿と続くネラッズーロ(黒・青)の潮流に加わった長友は、歴代49番目に相当する総出場数210試合を積み重ねた。世界中の同業者相手に誇れる数字だ。
足かけ8シーズンもの間、監督やオーナーが代わっても、長友はずっとインテルの一部そのものだった。
2011年1月、移籍市場最終日の土壇場で決まったインテルへの電撃移籍は、まさに驚天動地のインパクトをもたらした。
半年前に昇格組チェゼーナでセリエAデビューしたばかりの日本人DFが、クラブW杯を制したばかりの世界No.1クラブへ大出世したのだ。
ビッグクラブの入団会見から、ハートは強かった。
「目標はここ(インテル)で試合に出て、クラブ世界一になること。そして個人的には世界一のサイドバックになりたい」
上を目指して、とにかく突っ走る。ちょうど7年前、入団会見で長友はまっすぐに断言した。聞いた瞬間、長友から“皆でいっしょに大きな夢を見ようぜ”と投げかけられた気がした。
欧州の辺境国や南米出身選手はもちろん、イタリア人の若手でもインテルのような権威あるビッグクラブに入団ともなれば、萎縮したり気後れしたりすることは珍しくない。なのに、わずか数カ月前までJリーグでプレーしていたはずの長友は、入団会見で「スクデット獲得は義務」とまで言い切った。そのハートの強さに驚かされた。
悔しいことに、長友はついぞスクデットを獲得することはなかった。初年度に戴冠したコッパ・イタリア以降、インテルはあらゆるタイトルから長く遠ざかっている。