サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
“川崎山脈”から日本代表、高校教師へ。
代表1キャップ、箕輪義信の人生。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by“Eijinho”Yoshizaki
posted2017/11/10 11:00
赴任一年目の菅高校は高校選手権予選で早期敗退。じっくり指導に取り組める来年以降、結果は変わるか?
まさか! という不測の事態が起きて、ピッチ上へ。
10月12日、ウクライナのキエフオリンピックスタジアムに入った。現地時間17時キックオフのゲームだった。
雨が降っていた。そしてただただ寒かった。その記憶はあるが、他の情景はあまり記憶にない。現場の独特なチアホーンの音も耳には入らなかった。
「センターバックである自分がピッチに入るなら、不測の事態しかない。だから試合が始まってすぐから、かなりのペースでアップを続けていたんです」
とはいえ、それをずっと続るわけにもいかない。一呼吸入れるために日本代表のベンチに戻ると、サブの選手全員が貧乏ゆすりのような動きをしていた。「あ、座りながらも筋肉を動かして温めているんだろうな」と理解し、自分も同じ動きをした。
53分、ボランチの中田浩二がファウルで一発退場になった。不測の事態が、起きた。
箕輪は、FW柳沢敦との交代でピッチに足を踏み入れた。
日本代表になった瞬間だった。
「ああ、これが日本のみんなのゴールなんだって」
日本代表は4-4-2の布陣を3-5-1に変更。
箕輪は3バックの一角に入った。
ピッチに入ってすぐ、相手のシュートチャンスに身を投げだしてタックルし、ボールがゴールの枠を逸れた。パッと後ろを振り返った時、思わぬ感情がこみ上げてきた。
「ああ、これが日本のみんなのゴールなんだって。日本のみんなが守って欲しいと願っているゴール。そう考えるとブルっと震えるものがありました。
それまでもJリーグでは『川崎のみんなのゴールを守る』という感覚で戦ってきた。だからその延長線上にある日本のゴールだと考えると、『全力で戦うのは当然』という感覚になれた」
一方で、ピッチ上で意外にも冷静な自分を感じた。中田英寿が中盤でずっと「守備ラインを上げろ」と言っていた状況に対してだ。
「ヒデはラインを上げて、ショートカウンターを仕掛けたかったのだと思います。でも守備ラインは相手の放り込みに対して、苦しんでいた。
茂庭(照幸)と坪井(慶介)はすべて負けていたんじゃないけど、手こずっている感じがした。一方の僕はヘディングの競り合いが大好きで。だから少しカバーリングをしたほうがいい。ラインをこのまま維持したほうがいいな、という話をして。
もしかしたら、29歳という年齢だったから出来たのかな、と。ちなみにヒデは同学年です」