“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
身長が低くてもGKはやれる――。
青森山田、廣末陸とコーチの物語。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2017/01/15 11:30
廣末(写真左)と大久保コーチ。トレーニングウェアの上からも、その鍛え上げた肉体がよく分かる2人である。
廣末のGKコーチは、廣末よりも背が低かった。
実は大久保の身長は173cm。廣末よりも低い。
彼もまた中学時代は湘南ベルマーレジュニアユースでGKとしてプレーをしていたが、身長の低さを指摘され、ユースに昇格出来なかったひとりだった。
「僕も中学時代、周りはすべて自分より背の高いGKで、ユースに昇格したのも大きいGKだった。背の低いGKに対する世間の目は本当に冷たいなと感じながらプレーをしていた。だからこそ、絶対にそういう人たちを見返してやりたいと思って、青森山田に来たんです。青森で成長して、ユースに上がったGKを倒してやろうと思って。相当なハングリー精神を持って青森に行くことが出来た。その時の自分の姿と、陸の姿が重なったんです」
シンパシーを感じた大久保は、廣末にこう言葉をかけた。
「お前を絶対にプロにしたいから、必死についてこい。しんどくてもお前が決めた道なんだから、3年間必死でやってくれ」
廣末も大久保の目を見て、「よろしくお願いします」と答えた。そこから2人の二人三脚は始まった。
まず自分の意見を言ってから、コーチに質問する1年生。
とはいえ廣末が3年生になるまでは、苦難の連続だった。廣末は我が強く、当初は大久保とも衝突の連続だったという。
「これまでのGKの選手は、僕に対して『ここをどうすべきですか?』と聞いて来たけど、陸は『俺はこう思います』、『俺はこうしたいです』とまず自分の意見を言ってから、『大久保さんはどう思いますか?』と聞いてくるタイプだった。そこで意見の違いがあると、よく衝突をしてましたね」
1年生からレギュラーの座を掴み取った廣末は、その年のインターハイの2回戦・帝京大可児戦で相手のPK3本すべてを止めてみせた。さらに3回戦・尚志戦でもPK戦で2本のシュートを止め、2試合で5本のPKを止めるという離れ業をやってのけ、ベスト4進出に貢献をした。
ところが……。
「青森に来た当初は、相当なハングリー精神とJユースを見返すモチベーションでやっていたのですが、スタメンに定着してから、『あ、俺やれんじゃん』と満足してしまって……。気持ちにブレーキをかけてしまっていた」(廣末)