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[最強高校部活探訪・初回スペシャル]
東福岡高校、日本一のブカツ道。 

text by

日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2016/07/21 07:00

[最強高校部活探訪・初回スペシャル]東福岡高校、日本一のブカツ道。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

サッカー部が使用するグラウンドには、バイエルンの練習場と同じ人工芝が採用されている。

'14年インターハイで初めての日本一に輝いた。

「魂をこめて打ったボールは、ブロックに当たってネットの上を転がった後、必ず向こうのコートに落ちると信じている。だから僕が壁になって苦難を与えて。選手たちが涙、涙のドラマで乗り越えていくんです」

 そんな濃密な日常の中で選手を鍛え抜き、全国の舞台にはたどり着いたが、日本一は別物だった。'09年春高、'11年インターハイと準優勝が2度。'12~'13年はインターハイ、国体、春高の6冠(2年連続3冠)を達成した星城(愛知)に行く手を阻まれた。

 その'13年の3年生たちが東福岡に成長の種を残していった、と藤元は見ている。

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「3年生は4人だけでしたが、いいチームだった。俺たちはいろんな方に応援してもらっている、テレビに出ることもあるんだから見苦しい髪形や眉毛はやめよう。ゴミはまたがず、街中でも必ず拾おう。そう自分たちで決めて1年間貫き通した。それを見ていた一つ下の子どもたちが、'14年のインターハイで初めて日本一を獲ったんです」

「ちょっと異常なくらいの情熱がないと難しい」

 この代の3年生は14人と例年以上に多く、11人がメンバー外だった。だが先輩の教えを受け継ぎ、コート外での目配り、気配りのレベルは非常に高かったという。しかし、そうした意識がバレーの強さにどう関係するというのか。藤元はきっぱりと言った。

「それはやってみたら分かるし、やってみないと分からない。日本一にたどり着くまでには必ず修羅場が来ます。最後は仁王立ちのどつきあいみたいな戦いになるんです。その時、相手の表情や汗の拭き方、あるいは仲間の振る舞いから何を感じ取れるか。そういうことに敏感に気づける人間は強い」

 実績を積み重ねたことで、東福岡は憧れの進学先になった。今年は県選抜から6人が入部。無名の若者が回し始めた歯車は、およそ10年の時を経て、滑らかな好循環へ移行したと言えるのかもしれない。

「それにしても……」と藤元は呟く。

「(部活で日本一になるのは)ちょっと異常なくらいの情熱がないと難しい世界だと思うんですよ。常に日本一しか考えていない、言ってみれば異常な指導者がここに集まったのはすごい偶然だなって」

【次ページ】 現在330人在籍のサッカー部もかつては弱小だった。

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