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[最強高校部活探訪・初回スペシャル]
東福岡高校、日本一のブカツ道。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byHideki Sugiyama
posted2016/07/21 07:00
サッカー部が使用するグラウンドには、バイエルンの練習場と同じ人工芝が採用されている。
バレー部・藤元監督が教員面接で問われた質問とは?
バレー部監督の藤元聡一も社会科教師だ。法大卒業後、指導者として日本一を目指したいと、アルバイトをしながら全国の高校に履歴書を送り続けた。藤元が振り返る。
「ここはたしか42番目に応募した学校でした。日本史のテストを受けた後の面接でいきなり『不合格です』と言われて。ただ、『自己紹介書に書いているバレーへの情熱には興味があります。うちの部を強くできますか』と。部のレベルは全く知りませんでしたが、とにかく『はい』と答えました」
採用通知を受け取った藤元は'02年3月末、車に荷物を積み、暮らしていた山口県を出た。開け放った窓から「獲るぞー!」と大声で叫びながら関門海峡を渡った。
だが、東福岡バレー部は想像以上に弱かった。県大会出場をかけた地区大会で1つ勝てるかどうか。まずはコーチに就任し、県大会まで勝ち進めるようになったのが3年目。'06年に監督となり、'08年3月の春高バレーで初の全国大会出場を果たした。
細かく、ねちっこく、中学生の練習参加を断らず。
強豪ひしめく福岡から全国への道を切り拓いた理由を、藤元はこう表現する。
「県選抜の子をうちに預けてくれた中学校の先生方。今でも足を向けて寝られません」
中学の県選抜メンバー12人の進路は、県大会の上位常連校が占めていた。だが'05年、東福岡の門を叩く生徒が1人現れた。翌年にもまた1人。「最初の子が(3年時)県大会ベスト4、次の子が全国大会に連れていってくれた」と藤元は言う。しかしなぜ、県選抜の選手が弱小の東福岡に進んだのか。
「彼らのいた中学校のバレー部がよくうちの練習に参加していました。中学生が高校の練習に参加したいというとゲーム形式を採ることが多いんですが、うちは細かい技術を教える。そこを評価していただけた」
藤元の技術指導は細かく、ねちっこいと評判だった。しかも中学生の練習参加を断らない。パイプは徐々に太くなっていった。
と同時に藤元は、「大事なのは魂だ」と、選手たちに精神論を唱え続けた。