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[最強高校部活探訪・初回スペシャル]
東福岡高校、日本一のブカツ道。 

text by

日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

PROFILE

photograph byHideki Sugiyama

posted2016/07/21 07:00

[最強高校部活探訪・初回スペシャル]東福岡高校、日本一のブカツ道。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

サッカー部が使用するグラウンドには、バイエルンの練習場と同じ人工芝が採用されている。

現在330人在籍のサッカー部もかつては弱小だった。

 現在、サッカー部の総監督を務める志波芳則もその一人だ。

 志波は'73年、日体大卒業後に東福岡で教員生活をスタートさせた。面接を受けたのは、県の教員採用試験に落ちたからだった。

「先代の理事長さんに『うちのサッカー部を県でナンバーワンにできますか』と言われてね。僕は『はい』と言った。そしたら合格したんです。行く当てがなかった時に面倒を見てくれたという恩義はありますね」

 東福岡は、実績のある指導者を他校から引き抜くことはしない。ただ学園のトップは、志はあるのに働く場所がない若者の本気度を見抜き、部の未来を託していたのだ。

 サッカー部もまた弱小だった。部員数は今や120人ほどの新入生を加えて過去最多を更新する330人の大所帯となったが、当時は20人足らず。監督に就任した志波は「俺についてこい」という厳しい指導で'79、'80年と全国高校サッカー選手権に出場を果たしたが、いずれも初戦で姿を消した。

本山ら擁した'97年度に史上初の3冠を達成も……。

 '94年には準決勝で国見(長崎)に0-8と屈辱的な敗北を喫する。この頃から、「県でナンバーワン」だった目標は、はっきりと日本一に変わった。志波の好きな言葉は「その気にさせる」。若い頃とは違って、頭ごなしではなく選手たちの気持ちを大切にする指導法で、地道に強化に励んだ。

「最終的には選手がどういう状態で戦えるか。例えば注意をする時は、先にいいところを認めてから『でもこれだけは認められない』と言う。それだけで選手たちは、監督はちゃんと見てくれているという気持ちになって、指摘を受け入れやすくなる」

 壁を打ち破ったのは'97年度。本山雅志らタレントが揃ったことも重なって史上初の3冠を達成。翌年には選手権を連覇した。

 ところが黄金期は長くは続かなかった。'02年11月には、日本サッカー協会から受け取った補助金の不適切な処理が発覚。志波は監督を解任された。

【次ページ】 勝てない時代からの転機は高円宮杯プレミア挑戦。

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