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[最強高校部活探訪・初回スペシャル]
東福岡高校、日本一のブカツ道。
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byHideki Sugiyama
posted2016/07/21 07:00
サッカー部が使用するグラウンドには、バイエルンの練習場と同じ人工芝が採用されている。
勝てない時代からの転機は高円宮杯プレミア挑戦。
急きょ指揮を執ることになったのは、福岡ブルックス(現アビスパ福岡)でプロ経験もある森重潤也だった。教員ではなかったが、福岡県サッカー協会の仕事を通じて知り合った志波との縁で'98年にコーチとなり、翌年から事務職員として採用された。
森重が監督となってからも苦戦は続いた。再び日本一に輝く'15年度までの選手権13大会のうち、最高成績はベスト8。県大会での敗退も6度を数える。森重は「テクニック、メンタル、フィジカル。全てが足りなかった」と、訥々とした口調で振り返る。
一つの転機となったのは、'11年に始まった高円宮杯U-18プレミアリーグへの参加だ。Jクラブのユースと高校のサッカー部が混在するリーグ戦で東福岡は腕を磨いた。
「攻撃が売りのチームだったのに、Jの下部相手にはその攻撃が通用しない。思い通りのサッカーができないまま1年が終わってしまう。そういう時代が続きました」
大敗で気づいた守備の重要性が高校選手権優勝に直結。
プロを目指す選手たちで構成されるハイレベルな敵を相手に、年間を通して戦う。そして自らに足りないものに気づき、チームとしてのベースを構築できるのが、このリーグに参加するメリットだという。
それでも降格を免れ続け、「なんとかやっていける」という手応えを掴み始めた矢先の'15年、東福岡は開幕戦でいきなりセレッソ大阪U-18に1-6と大敗する。
「僕も選手たちも守備をどうにかしなければと危機感を覚えた。プレミアの試合をこなしながら守備を鍛えた結果が、最後、ああいう形になったんだと思います」
それは、実に17年ぶりに優勝した今年1月の選手権を指す。準決勝では星稜(石川)のシュートをわずか1本に抑え、決勝は国学院久我山(東京)に5-0と圧勝した。