サムライブルーの原材料BACK NUMBER
座右の銘は「自信と過信は紙一重」。
太田宏介が三浦淳寛にもらった言葉。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2014/10/28 10:40
今季J1では全30試合にフル出場。ポジションを争う長友佑都がインテルで出場機会を減らす今は、太田にとって代表定着へアピールするチャンスだ。
FC東京で出会った、同世代の代表選手たち。
太田の運命的な出会いは続く。
清水エスパルスでは長谷川健太監督をはじめ小野伸二、高原直泰からサッカーに対する考えや取り組み方を学んだ。FC東京では石川直宏ら先輩たちの影響を受けながらも、ひと足先に代表で活躍する森重真人、高橋秀人という1987年生まれの同級生とお互いに切磋琢磨してきた。
「FC東京では同世代の存在が大きくて、身近にそういう選手がいるかいないかで全然違うと思うんです。同じ年なので、自分も負けていられないっていう気持ちが強くなってきて、気持ちが充実してプレーも安定してきたなって去年ぐらいから感じていました。その自信を持ち始めた時期に、絶好のタイミングで(代表に)呼ばれたのかなとは思っています」
一つひとつの出会いが、太田をプレーヤーとして、人間として成長させた。
高校時代の同級生、小林悠と代表で再会。
そして彼は、日本代表でも「人とのつながり」を感じることになる。
麻布大学附属渕野辺高サッカー部の同級生、川崎フロンターレの小林悠と同時に代表入りしたのだ。小林は今でも月に1度は一緒に食事するほどの親友。2年ほど前、小林の結婚式に出席した際には「日本代表のユニホームを一緒に着よう」とのメッセージカードを受け取っている。今年4月、小林が代表候補メンバーに選ばれたことが、太田にとっては何よりの刺激材料になったようだ。
「悠が点を取ったら僕は嬉しいし、Jリーグのなかでも一番応援している選手です。その悠が4月の候補合宿に呼ばれて僕も嬉しかったんですけれど、『じゃあ自分は何してんだよ』って、正直嫉妬心みたいなものもあったんです。
それまで僕のほうが、若手主体とはいってもイエメン戦に出してもらったり、候補合宿にも呼ばれていましたから。悠が(代表に)入って、自分が入っていないという立ち位置はやっぱり悔しかった。
ポジションは違うし、(高校を卒業してからの)経緯も違う。でも一番身近な存在であり、一番のライバルなんです」
結局小林は、ケガによって候補合宿に参加することはできなかったが、以降お互いはさらに意識しあい、それぞれのチームで結果を残していくなかで、アギーレの目に留まったのだった。