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ロッテ・井上晴哉は大成するか?
“アジャ”がプロでも大砲になる条件。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/03/05 12:20
石垣島キャンプで、力感あふれるスイングを見せた“アジャ”こと井上晴哉。社会人の大砲は、プロでもアーチを量産できるか。
「アジャ」こと、井上晴哉がオープン戦で結果を残している。
日本生命からロッテにドラフト5位で入団した、体重114キロの巨漢ルーキーだ。
伊東勤監督が「開幕5番」を示唆しているように、周囲の期待は高まるばかりだが、社会人球界の大砲がプロで大成した例は、近年では2004年に44本塁打をマークし本塁打王になったソフトバンクの松中信彦(新日鐵君津)ぐらいで、意外なほど少ない。
さかのぼれば、1988年にプリンスホテルから日本ハムにドラフト1位で入団した中島輝士がそうだった。'88年のソウル五輪では日本の4番も務めるなど実績も十分で、当時、NPB史上最高額となる8000万円の契約金を提示されるなど将来を嘱望されたが、プロ10年間で本塁打52本に終わった。
中島同様、元全日本の4番という触れ込みで'90年にやはり日本ハムにドラフト1位で入団した住吉義則はさらに低調に終わった。プロ6年間で一軍の出場は30試合にとどまり、ホームランを1本も打てなかった。
都市対抗記録となる9本塁打をマークし、'91年にドラフト3位でロッテに入団した丹波健二はホームランこそ1本記録したが5年で球界を去っている。
例外中の例外、小笠原道大という存在。
3人に共通しているのは、いずれも入団が26歳と遅かったことだ。当時、社会人はまだ金属バットの時代だった。そのため即戦力として期待されながらも、木製バットへの対応に時間がかかった感は否めない。
井上も3人と同じように24歳と入団が遅い。ただし社会人野球は'05年から木製バットの使用が義務づけられている。井上の場合、木製バットへの対応時間は考えなくていいので、そこは大きなアドバンテージだろう。
ちなみに近年の社会人出身のスラッガーというと松中以外にもう1人、名前が上がる人物がいる。'96年にドラフト3位で日本ハムに入団し、'06年に32本塁打でパ・リーグのホームラン王になった現中日の小笠原道大だ。
ただし彼の場合、日本ハムはホームランを期待していたわけではない。シュアな打撃をする捕手として指名したのだ。小笠原はある種の突然変異で、例外中の例外といっていい。