Number Do ExBACK NUMBER
太田雄貴「12年ぶりのフルマラソン」<私とラン2025>
posted2025/03/27 11:00

text by

林田順子Junko Hayashida
photograph by
Takuya Sugiyama
発売中のNumber Do「『50歳でも速くなる』RUNの裏ワザ2025」に掲載の《私とラン 太田雄貴》より内容を一部抜粋してお届けします。
「もう一度マラソンを走るまでに、干支を一周しちゃいました」と笑うのは、北京五輪で日本フェンシング界初の銀メダルを獲得した太田雄貴さん。
太田さんの初マラソンは2012年12月のホノルルマラソンだった。
「前年に友人が初めてマラソンを走って『人生で一番感動した』って言ったんですよ。口では『本当?』って言いながらも、仲が良い友達が言うんだから、本当に感動するんだろうなって気になっていて。ちょうどその頃、お世話になっていたアディダスで、その話をしたら『じゃあホノルル走ってみましょう!』と、仕事として走ることになったんです」
ADVERTISEMENT
当時の太田さんの目標はサブ4。「ドヤ顔でゴールするつもりだった」が、結果は4時間19分30秒。
「初めてのフルマラソンということで、完全に甘く見ていましたね。股は擦れる、膝は折れそう、もう首から下は全部痛い!って状態でした」
「二度とやりたくない」からなぜ再び走り始めたのか
そして楽しみにしていた感動体験は、残念ながら訪れなかった。
「やっぱり感動って人によって尺度が違うんだなと思いました。だってオリンピックで銀メダルを取ったときの感動に比べたら……(笑)。でも、それってどうしてだろうと考えたときに、自分がフェンシングとマラソンに注いだ努力の度合いが違うって気づいたんです」
実はこのとき小誌は初マラソン後の太田さんに取材をしていた。当時はマラソンの魅力について語ってくれたのだが、本心では「もう二度とやりたくない」と思っていたという。ではなぜ再び走り始めたのか。「引退してしばらく経った頃、渋谷区長の長谷部(健)さんに誘われて、走り始めたのが7年前です」
とはいえ、最初は週に1~2回、代々木公園を走る程度。前日に飲み過ぎれば中止することもザラだった。