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「格好いいな、あの野郎ってね」金本、江藤、黒田、丸…数々の名選手を発掘した広島の生ける伝説・苑田聡彦のスカウト哲学 

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前原淳

前原淳Jun Maehara

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photograph byAsahi Shimbun

posted2024/12/30 06:02

「格好いいな、あの野郎ってね」金本、江藤、黒田、丸…数々の名選手を発掘した広島の生ける伝説・苑田聡彦のスカウト哲学<Number Web> photograph by Asahi Shimbun

2024年10月、神宮球場のバックネット裏で東京六大学の試合を見る苑田氏

 不安からか、車内の時間はより長く、北国の風も冷たく感じられた。初めて足を踏み入れた地で、宿泊は双眼鏡で見つけたホテルの電話番号をメモしてその日に予約した。慌ただしく先行き不安な初日に、苑田は部屋で思わず涙したという。

 当時、広島には木庭教、備前喜夫、宮川孝雄ら“名物スカウト”がそろっていた。ただ、スカウトのイロハを誰も何も教えてくれなかった。自分で見て、動いて、学ぶしかなかった。それが広島スカウトの教育だった。

「一から十まで、手取り足取り教えてもらわなかったことが僕にとっては良かった。あれこれと教えてもらっていたら自分で動くことができなかったんじゃないかなと思う」

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 鞄の中には座布団とスコアブックと帽子、双眼鏡とスピードガンを常に入れていた。移動距離も長ければ、インターネットで簡単に情報が入る時代でもなかった。他球団のスカウトから東北の選手の情報を聞いて見に行ったこともあったが、それほどの選手ではなかった。次に会ったとき、情報提供者のスカウトも見ていない選手で、苑田に見に行かせるために情報を漏らしたのだと知った。そんな駆け引きが日常茶飯事の時代だった。

 情報は足で得た。北は北海道から南は沖縄まで、全国の高校、大学の電話帳を持ち歩いた。遠方の情報は地方の地元紙を送ってもらうなどして収集。集まった各地の練習試合の日程をにらみながらスケジュール帳に予定を書き込み、多くの選手と出会った。

苑田が惚れ込んだ選手たち

 もちろん、すべてがうまく進んだわけではない。スカウトとして初めて球団に強く推薦したのは、日本鋼管の木田勇。78年のドラフト会議で1位指名し、3球団競合の末に交渉権を引き当てたが入団を拒否された(木田は翌年のドラフト1位で日本ハムに入団)。

 スカウト転身後15年目くらいには、辞めることを考えた時期もあった。思いは夫人にも伝えていた。ただ、休日に散歩していると、公園の先にある野球場に自然と足が向いた。天職なのだと悟った。

 選手は、走り方、投げ方、打ち方だけでなく、懸命さや、やられた後の表情に注目した。ユニホームの着こなしは欠かせないポイントだった。

 いつも同じ場所で選手を見る。練習を見に行った日は、練習が終わるまで見る。どれだけ日差しが強い日でも、サングラスはしない。誰にも教わらずスカウトとしての姿勢を自分で見いだした。

【次ページ】 スカウトの喜び

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