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落合博満43歳「私の時代は終わった」…落合がショックを受けた“23歳の天才バッター”「オレは終わっていた選手なんだ」日本ハムで涙を見せた日
posted2024/12/30 11:16
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が3刷重版と売れ行き好調だ。
1996年オフ、43歳になる落合博満は巨人を電撃退団する。「巨人軍vs.落合博満」その後の物語。あまり語られていない日本ハム時代の落合……なぜたった2年で現役引退したのか?【全3回の中編/前編、後編も公開中】
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43年ぶりの開幕6連敗
43歳になってもなお、落合には己の技術に対するプライドと圧倒的な自信があった。3月26日、ナゴヤドーム落成記念「サークルKプロ野球トーナメント」の横浜戦、背番号3は9回に代打で登場すると、佐々木主浩の147キロの直球をライト前へはじき返す。ベンチで上田監督に「佐々木なら打てます。出て来たら代打で」と自ら志願してのひと振りだった。
そして1997年4月5日、「四番一塁」で迎えたプロ19年目の開幕戦。慣れ親しんだ東京ドームで、5年連続の開幕戦2安打と結果を残すも、チームはロッテの小宮山悟に完封負け。その後も日本ハムは白星が遠く、さらには10日のダイエー戦で落合が3回の守備終了時に体調不良を訴え、途中交代。福岡市内の病院で診察を受けると、風邪と診断された。結局、日本ハムは東映時代以来、43年ぶりの開幕6連敗とスタートからつまずいてしまう。
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打率1割台と低迷する背番号3だったが、「慌てるな。最後は、(強いところが)勝つんだから」という言葉通り、4月16日の西武戦で4打数4安打の固め打ち。この試合を中継した文化放送のゲスト出演のため、東京ドームに駆け付けた信子夫人は、「今年は遠慮してるわね、ガンガン打たなきゃダメよ」とエールを送り、オレ流も左中間フェンス直撃のタイムリーでそれに応えた。
「野手からホームランは初めてだ」
4月18日のオリックス戦では、外野手登録ながらも投手挑戦で話題の嘉勢敏弘から、落合はグリーンスタジアム神戸のバックスクリーン左へ1号3ランを叩き込んでみせた。巨人時代以来、234日ぶりの一発。当時、仰木彬監督の二刀流起用には、行きすぎたファンサービスと否定的な意見も多かったが、移籍後初アーチを打ったオレ流は、投手・嘉勢に肯定的なコメントを残している。
「長いこと野球をやっているけど野手から本塁打したのは初めてだ。でも、いい球、投げるじゃねえか。コントロールもいいし面白いんじゃねえか? ただ練習をどうするかが問題だな」(日刊スポーツ1997年4月19日)