スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
「このままじゃ16人にも入れないよ」原晋監督の“厳しさ”を実感した青学大キャプテン「泣きましたね…あの時は」“どん底”の1年前から笑顔で引退するまで
posted2025/01/04 11:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Kiichi Matsumoto
優勝した青山学院大のキャプテン、田中悠登の第一声は意外なものだった。
「やっと、終わりました」
なにか憑き物が落ちたような表情をしていて、表情からも「険」が消えていた。
ADVERTISEMENT
「うれしいというより、終わったというのがいまの実感です。いやあ、本当に終わりました」
今季の田中はずうっと故障に悩まされた。駅伝シーズン、ようやく11月の全日本の5区に出場することになり、こんなメッセージをくれた。
「明日、ようやくスタートラインに立てます。夏に取材していただいた際は、本当に前が見えなくて苦しかったのですが、『落ち込んだ分、這い上がれるよ』という言葉をいただいて、ここまで頑張ってこられました」
「このままじゃ、16人にも入れないよ」
試合に出ること、それは大きな進歩だったが、チームは国学院、駒澤に力負けして3位。そしてそこからまた痛みとの戦いが始まる。
下半身にしびれが出てなかなか収まらず、当初はその原因も分からないまま、11月半ばまでは練習が満足にできなかった。そんな田中に対し、原晋監督は厳しかった。
「このままじゃ、16人にも入れないよ」
登録メンバーにさえ入れない――監督から突き放すような言葉をかけられてしまった。それが競争の激しい青学大の現実だ。厳しい言葉をもらい、田中はこう感じていた。
「監督からの“愛の鞭”だとは分かっていました。でも立ち直れないくらいつらい状態で。そんなとき、同期、後輩にも助けてもらって、なんとか戻ってこられました」
しびれの原因は神経痛と分かってからは対策を取れるようになり、11月下旬から練習を再開。青学大のメンバー選考に重要な意味を持つ12月上旬の千葉・富津の合宿では100パーセントの練習を積むことが出来て、原監督も迷わず田中をメンバーに加えた。
「やらかしてしまった」想定外の9区に
田中は青山学院大を卒業後、地元福井の放送局でアナウンサーになる予定で、箱根駅伝が競技者としてのラストラン。本人のなかで最後のイメージが出来ていた。
「10区アンカーを務めて、優勝のガッツポーズをしながらフィニッシュテープを切る――その予定だったんですが、最後の最後のポイント練習でやらかしてしまったんです」