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「足が止まるくらいの凄まじい風で…」24年前の箱根駅伝 強風が生んだ波乱の“三つ巴の5区” 持ちタイム最下位だった「雑草ランナー」が大激走のワケ
posted2025/01/06 11:00
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by
(L)BUNGEISHUNJU、(C)(R)フォート・キシモト
青学大の8度目となる優勝で幕を閉じた101回目の箱根駅伝。その往路の主役は中大だった。トップで5区の山中を駆ける白地に赤の「C」を見て、藤原正和監督の現役時代を思い出したファンも多かったのではないだろうか? 遡ること24年前、伝説の“3つ巴の5区”――先頭を行く法大・大村一(4年)を、後ろから順大・奥田真一郎(3年)と中大・藤原正和(2年)が追いかけたレース。この時、3人の争いが最後の最後まで縺れた理由は、実力的に「格下」のハズだった大村が、学生トップ級の2人を相手に予想外の奮闘を見せたことが大きかった。山中で吹き荒れた強風ともあいまって起こった波乱の主役の胸中とは。《NumberWebノンフィクション全3回の1回目/つづきを読む》
「何番まで落ちた?」
いまから24年前、2001年の年明け。箱根の山を望む小田原中継所で、箱根駅伝5区を走る予定だった法大の4年生・大村一は、付き添いの後輩にそんな疑問を投げかけていた。
この年の箱根路、往路の主役は“オレンジ・エクスプレス”こと法政大だった。
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1区の黒田将由(1年)が区間3位で滑り出すと、2区で徳本一善(3年)がトップへ。大村がウォーミングアップに出かけた3区の中盤でも、未だ1位をキープしていたのだ。
とはいえ、前評判はそこまで高かったわけではない。当時は順大と駒大の「紫紺対決」が全盛の時代である。この年の法大も、優勝候補とは一線を画す立ち位置だった。当時6位までが通過だった予選会で、5位通過の戦力。本選でトップを走っていること自体が予想外の状況ではあった。
アップを終えて戻ってくる頃には、さすがに抜かれているだろう――。大村の疑問は、そんな懐疑的な思いに根差したものだった。
トップでタスキをうけた法大5区・大村
ところが、後輩の口からは意外な答えが返ってきた。
「いや、まだトップです」
え、そうなの? じゃあこれ、トップで来るじゃん。
多くのファンが注目する箱根路で先頭を走れる喜びと、だからこそ順位を落とせない重圧。後輩の言葉を聞いて、大村の中ではその2つの感情がちょうど半々ほどで渦巻いていた。ただ、箱根路はすでに3回目。5区は昨年も走って、区間7位とまずまずの走りができていた。その時点で、焦りはなかったという。
「平常心だったし、ものすごく集中していたと思います。今思うと、後ろの大学が何秒差で追ってくるのかとか、そういう細かな情報も入ってなかったように記憶しています」