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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「毎年、クマとの闘いです」箱根駅伝10区〈踏切で足止め〉悲運のランナーは今→秋田で消防士に「何があるか分からない」震災、クマ出没…故郷を守る日々
posted2025/01/06 11:04
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Haruka Sato
今年で101回を迎えた箱根駅伝の歴史には数々のドラマがあった。その一つが、2012年大会まで往路1区と復路10区に存在していた「蒲田第1踏切」でのハプニングだ。高架化に伴い現在は撤去された踏切で足止めを食ったランナーの1人が、2002年大会に大東文化大で10区を走った田子康晴さん(44歳)。現在は故郷の秋田県鹿角市で消防司令補として活躍する田子さんに、その後の物語を聞いた。〈全2回の後編/前編から読む〉
アンカーを託され駆け出した10区の道のり。5位で襷を受け取り、前を行く4位・中央大の走者を猛烈に追い上げた。その差はついに200m。そこで、無情の遮断機が行く手を阻んだ。まさかの不運なアクシデントだったが、実は当時この「踏切事件」はそこまで注目を浴びなかったのだという。田子さんが振り返る。
「まさか、ですよね。でも当時はそのコースには踏切があるもの、という前提でしたし、中継でもアクシデントがあったことは取り上げられたんですが、それだけ。レース後の周りの反応も『止まっちゃったな、アハハ』くらいの感じでした。話題になったのは、高架化であの踏切がなくなった、というタイミングからです」
「あの踏切撤去」で脚光
実は当時の中継でも、このアクシデントが特にセンセーショナルに取り上げられていたわけではない。今のようにSNSで動画が“拡散”されることもなく、23年前の箱根駅伝にはロードレースならではのハプニングも楽しむような緩やかな空気感が残っていた。
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「蒲田第1踏切」は2012年10月に撤去。ちょうどこの頃からレースの高速化が進み、箱根駅伝は正月の風物詩にとどまらないスポーツの一大コンテンツへと変化していった。
「その頃から箱根駅伝の今昔物語で取材を受けたり、中継中の昔を振り返るシーンに映ったりするようになりました。現役が終わって20年以上経った今でもこの時期になると『今年も出てたぞ』と言われたりしますから、なんだか不思議ですよね」