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わずか4年で戦力外通告「マジか…もう1年やれるかと」まさかのドラフト指名漏れも経験、元中日・岡野祐一郎が初めて語る“スカウトに転身を決めた日”
posted2024/09/21 11:05
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
NumberWeb
大谷翔平と同学年の1994年度生まれ。チームで唯一補欠だった中学時代から一転、高校、大学、社会人を経てプロ野球選手にまで辿り着いた岡野祐一郎(元中日)。本人が初めて明かすドラフト指名漏れ、まさかの戦力外、そして現在まで。【全4回の4回目/1~3回も公開中】
◆◆◆
大学卒業後も岡野祐一郎は歩みを止めなかった。実は企業チームを選ぶとき、そのことで大学の恩師と衝突している。
岡野のもとには複数のチームから誘いがあった。恩師はその中でも今、もっとも有力な会社への就職を勧めてきた。だが、そのチームには絶対的なエースがいて、しかも自分とタイプが似ていた。そこだと自分を生かし切れないと考えた岡野は、自分がもっともフィットしそうな東芝を選んだ。恩師は反対したが、岡野は譲らなかった。
「出番がなかったら、プロに行けないですから」
「自殺の心配も…」ドラフト指名漏れ
大学経由で社会人野球に進んだ選手は2年目からドラフト会議で指名を受けることができる。その社会人2年目、東芝でも目論見通りエースとして活躍していた岡野は、ある球団から4位までには指名すると告げられていた。担当スカウトは青山学院大の先輩でもあったため、岡野はすっかり信じ切っていた。しかし最後まで岡野の名前が呼ばれることはなかった。
その日の夜は会社の同期が飲みに連れ出してくれた。岡野は恥ずかしそうに思い出す。
「今日のことを忘れるぐらい飲もうみたいになって、次の朝、寝坊してしまって。それまで会社に遅刻するなんてことはなかったので、同僚には『自殺とかじゃなくて本当によかった』って言われました」
しかし、その1週間後ぐらいには、岡野はまた歩き始めていた。