誰も知らない森保一BACK NUMBER
「日本人にサッカーができるの?」21歳森保一が“差別する”イギリス人を黙らせた日…「幻の海外組」なぜ森保監督は“マンU経験”を自慢しない?
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2024/02/29 11:03
1995年、サンフレッチェ広島時代の森保一(当時26歳)。じつは森保は社会人マツダ時代に“海外組経験”をしていた
基本的に練習参加できるのはリザーブチームではあるが、名門の空気を吸えることに変わりはない。今考えても贅沢な取り組みである。
しかし日本にはまだプロリーグすらない時代だ。当然、W杯に出たこともない。リザーブチームの中には「日本人にサッカーができるの?」という態度で接してくる選手もいた。
前川はこう振り返る。
「最初はチャイニーズと言われ、英語で『Not Chinese. I’m Japanese』と返したところ、今度はジャップと差別用語みたいな感じで言われてしまって……。認めてもらうまでに時間がかかりました」
今西の方針により、マツダの寮で英会話の授業が行われていたものの、日常会話を話せるようになった程度だった。言葉の壁も障害になったに違いない。
森保のゴール「お前らやるじゃないか」
だが、1つの得点が彼らの見方を変えることになる。ゴールを決めたのは森保だった。
「約2週目にブラックプールというチームと練習試合をしたんですよ。そうしたら森保が点を取って3対1くらいで勝った。『お前らやるじゃないか』と言われて、すごく仲良くなったんです。森保やジャンボ(河村)は一緒にディスコに連れて行ってもらっていた。全部で3試合くらいプレーし、向こうのコーチにも良くしてもらいました」
次第に環境に慣れ、4人は日欧のサッカーの違いが見えてくるようになった。
「GKには当時18歳のマーク・ボスニッチがいて、身長は185cmなんですがバネがあり、筋肉の付き方が全然違った。フィールドにはマーク・ロビンズがいました。現在コベントリーの監督をやっている方です。
森保と話したら、『ものすごく足が速い選手がいて、こちらが5メートルくらい距離を取っているのに、彼がバッと走ると簡単に裏を取られてしまう』と言っていた。日本では味わえない強さや速さを体験できました」
“野菜なし”の1カ月間
生活面の体験も貴重だった。マンチェスター・ユナイテッドがリザーブやユース用の宿泊施設として大きな一軒家を借りており、4人はそこで寝泊まりした。