誰も知らない森保一BACK NUMBER
「日本人にサッカーができるの?」21歳森保一が“差別する”イギリス人を黙らせた日…「幻の海外組」なぜ森保監督は“マンU経験”を自慢しない?
posted2024/02/29 11:03
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph by
AFLO
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なぜサンフレッチェ広島から多くの名将が生まれているのか?
小林伸二(元ギラヴァンツ北九州監督)、風間八宏(現南葛SC監督)、松田浩(現ガンバ大阪・フットボール本部本部長)、上野展裕(元福山シティ監督)、森山佳郎(現ベガルタ仙台監督)、高木琢也(元V・ファーレン長崎監督)、横内昭展(現ジュビロ磐田監督)、森保一(現日本代表監督)――。
GMとしてクラブの礎を築いた今西和男が、前身のマツダ時代を含めて「人間教育」に力を入れていたことが大きな理由だろう。「聞く・書く・話す」の実践の場を設け、選手たちの社会人スキルをアップさせた。「森保ノート」のルーツもここにある(第10回参照)。
だが、今西の先見の明はこれだけではなかった。日本リーグの多くのクラブがブラジルをお手本にする中、いち早くヨーロッパに目をつけた。オランダ人のハンス・オフトとイングランド人のビル・フォルケスを立て続けに招聘し、選手たちはヨーロッパの戦術を学ぶことができた。
「日本人にサッカーができるの?」
さらに着手したのがイングランド留学だ。マンチェスター・ユナイテッドのレジェンドであるフォルケスに頼み、若手たちをこの名門クラブへ1カ月間留学させる試みを始めた。
1990年春、21歳の森保はメンバーに選ばれた。1学年上の前川和也(現FCツネイシU-18監督)、同期の河村孝(元レノファ山口社長)、2学年下の喜多健二という計4人だ。
森保は入団2年目までは一切出番がなかったが、3年目についにブレイクを果たす。1989年9月の大阪ガス戦でデビューすると、いきなり2得点を決めたのだ。勢いに乗ってそのシーズンは全30節中19試合に出場。一気に評価が上がり、それによって留学メンバーに選ばれたのだった。
当時のマンチェスター・ユナイテッドの監督はアレックス・ファーガソンで、トップチームにはブライアン・ロブソン、ニール・ウェブ、マーク・ヒューズ、ガリー・パリスターといったスター選手や、ポール・インスやリー・シャープといった有望な若手など豪華なメンバーがそろっていた。