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格闘技PRESSBACK NUMBER
「今から行って、お前らをぶち殺す」会長の自殺、師匠・力道山の急死、突然のボクサー引退…“アントニオ猪木の同門レスラー”波乱万丈の人生
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph bySankei Shimbun
posted2023/12/30 11:06
1971年11月、アントニオ猪木と倍賞美津子の結婚式。今回、猪木の同門レスラーが波乱万丈の人生を明かした
「まだまだ攻守とも甘いところもある。まだ二十才だからもう少し四回戦でキャリアをつけてから、B級(※6回戦)になっても遅くはない」(1962年9月26日付/スポーツニッポン)
また、海外から中量級以上のボクサーが来日すると、琴音はスパーリングパートナーをつとめている。1962年9月5日のスポーツニッポンは、日本ウェルター級5位・篠沢佐久次(笹原)と対戦予定のカリフォルニア州ウェルター級王者・スクールボーイ・ブラウンのスパーリングパートナーに、琴音竜が駆り出されたことを報じている。
「新聞は書かなかったけど、俺はこの相手を滅多打ちにしてさ。そしたら、試合がなかなか決まらなくなった。それまでも、格上ばかりぶつけられて勝って来たでしょう。そしたら、相手のジムが嫌がるようになったんだね」
この年の12月16日に決まっていた「東日本ミドル級新人王準決勝」は不戦勝となり、大晦日に行なわれた決勝戦で、同門の佐藤靖男を判定に下し、見事、東日本新人王に輝いた。
なぜ突然、現役引退したのか?
年が明けて1月28日に行なわれた全日本ミドル級新人王決定戦は、西日本ミドル級新人王の植田正吉(大阪リキ)と対戦、判定負けを喫し、全日本新人王には一歩届かなかったが、東日本新人王に輝いたことで試合のスケジュールは半年先まで組まれていた。スターへの道は目前だった。しかし、この試合を最後に、琴音はグローブを置いてしまうのである。
「一つはね、あるとき、師匠の付き人で、いろんな企業経営者に会ったんだ。そしたら、師匠がそういう人たちに頭を下げている。もちろん、相手は企業人だから当然なんだけど、当時の俺は幻滅してしまったんだな。そしたら、池袋で金融の仕事をやっていたウチの従兄が『仕事を手伝ってくれ』って言ってきて、何だか、そっちが面白くなったんだ」
「その直後だよ。ボクシングクラブの会長だった伊集院(浩)さんが自殺してしまった。理由は本当に知らない。ただただ、びっくりした。そしたら、今度はその年の暮れに師匠が亡くなったでしょう。何だか一気にヤル気が失せてしまった。金融業が面白かったのもあったから、そのまま引退したわけだ。後悔? 不思議となかった。ここからは、仲間を応援する側に回ろうと考えたのもある」
「今から行って、お前らをぶち殺す」
それ以降、力道山一門OBの一人として、会場にも姿を見せた。筆者が子供の頃に見たテレビのプロレス中継で、印象的な場面を記憶している。入場と同時に、チェーンを振り回しながら場内を徘徊する、往年の人気外国人レスラーのブルーザー・ブロディ。大方の観客が恐れをなして逃げ惑う中、腰を下ろしたまま微動だにしない恰幅のいい男性の姿があった。琴音である。すると、ブロディはくるりと向きを変えて別方向に歩を進めた。