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格闘技PRESSBACK NUMBER
「今から行って、お前らをぶち殺す」会長の自殺、師匠・力道山の急死、突然のボクサー引退…“アントニオ猪木の同門レスラー”波乱万丈の人生
posted2023/12/30 11:06
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph by
Sankei Shimbun
◆◆◆
「つまんない試合をしたら、ぶん殴られる」
1962年4月16日、後楽園球場のすぐそばに「後楽園ボウリングセンター」なる6階建てのビルがオープンした。
当時、都内にボウリング場は青山と池袋と渋谷の3カ所にしかなく、そのうちの一つが、渋谷のリキスポーツパレス1階にあった。そして、4カ所目が満を持して水道橋にオープンしたのである。
レストランやサウナ、バー、劇場などを併設する複合ビル「後楽園ボウリングセンター」の5階には、ボクシング会場の「後楽園ジムナジアム」が移転し再オープンしている。すなわち、現在の後楽園ホールである。
ボウリングセンターのオープンにあわせて、この日、新設のボクシング会場でも、こけら落とし興行が行われた。その第5試合に出場したのが琴音竜だった。相手は平安ジムの原田健一。アントニオ猪木、上田馬之助ら同門のレスラー仲間も応援に駆けつけている。
「よく憶えてないけど、とにかく無我夢中でやったんだ。仲間の前でみっともない試合は出来なかったし、何より師匠(力道山)も観に来ていて、最前列に座っていた。『こりゃ下手な試合は出来ない』って緊張したな。だって、つまんない試合をしたらぶん殴られるからね。プロレスの試合でもそうなんだ。師匠は、少しでも選手の気合が入ってなければ、試合中でも構わずに、ずかずかリングに入っていって、選手をボコボコに殴る。本当の話だよ。場内騒然だよ。信じられないだろう。だから、ボクシングでも同じことが起きないとも限らないと思ってさ。対戦相手よりそっちがおっかなかったくらい」
試合は白熱したものとなった。1R開始早々に右ストレートでダウンを奪った琴音だが、その後は気ばかりが焦り、大振りが目立った。逆に対戦相手のジャブを被弾し続け、思うように攻められず、ダメージは蓄積していく。そして3R、琴音が起死回生のストレートを放ったところを、カウンターでフックを合わされダウン。そのままテンカウントを聞いた。ほろ苦いKO負けである。最前列で観戦した師・力道山のコメントもある。
「だいぶ堅くなっていた。練習の時はよかったが、思うようにパンチが出なかった。一発をねらいすぎていたようだ。第一戦に負けたが、先のことを考えたらいろんな意味でいい勉強になっただろう」(1962年4月17日付/スポーツニッポン)
「殺せ、殺せ、殺せ!」
しかし、琴音のプロボクサーデビュー戦は、同門のレスラーたちに変化をもたらした。合宿所に起居する仲間が、プロボクシングというリアルファイトの異種競技で戦ったことが彼らに刺激を与え、極めっこの練習も、今まで以上に熱心に時間を割くようになったのである。