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格闘技PRESSBACK NUMBER
「今から行って、お前らをぶち殺す」会長の自殺、師匠・力道山の急死、突然のボクサー引退…“アントニオ猪木の同門レスラー”波乱万丈の人生
text by
細田昌志Masashi Hosoda
photograph bySankei Shimbun
posted2023/12/30 11:06
1971年11月、アントニオ猪木と倍賞美津子の結婚式。今回、猪木の同門レスラーが波乱万丈の人生を明かした
「麻布台のロシア大使館の裏に『クラーク・ハッチ』っていう会員制のトレーニングジムがあったんだ。高倉健とかもそこの会員で、政府の特務機関の人間もいた。俺も会員だったけど、あるとき、映画プロデューサーを名乗る人が『力士を紹介してほしい。映画に出て欲しいから』って言うんだ。俺は相撲協会とも少し付き合いがあったから、その件を打診したら、協会は『出さない』と言ったわけ」
「それで、次にピンと来たのが新日本プロレス。上野毛の道場に連れて行った。最初は永源(遥)がいいと思ったんだけど『いや、違う』って言うのよ。次に新人の頃の長州力がいいと思ったけど『それも違う』と。そしたら、その映画プロデューサーは、不思議そうに俺の顔を見てるんだな。そしたら『あなたに出てほしい』って言いやがった(笑)。もちろん断ったんだけど、何度も何度も頼んでくる。それで仕方なく引き受けることにした。そしたら、すぐ香港行きの飛行機に乗せられて、あっという間に撮影。いやあ、あれには参った(苦笑)」
◆◆◆
そんな、琴音隆裕も82歳。最後に、盟友・アントニオ猪木が他界したときの話を聞いた。
「亡くなったときは、弟の啓介から連絡があった。啓介が実質的に窓口になっていたから。聞いた瞬間? 『ああ、ついに……』ってことかな。例の『4人組』の中で、みんな俺が一番最初に死ぬって思ってたらしいけど、何だかんだ、一番長生きしちゃった。『琴音、早く来いよ』っていう声が聞こえてこないでもないんだけど、残念ながら、俺はまだ元気なのよ(笑)。だから、しばらく、こっちの世界にいさせてもらうよ」
<前編から続く>