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「(ジャイアント)馬場さんが激怒して…」8年ぶりのBI砲に武道館が沸いた“オールスター戦”はなぜ1回で終わったか? 返された“300万の小切手” 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2023/06/14 11:00

「(ジャイアント)馬場さんが激怒して…」8年ぶりのBI砲に武道館が沸いた“オールスター戦”はなぜ1回で終わったか? 返された“300万の小切手”<Number Web> photograph by AFLO

1979年に開催された「プロレス夢のオールスター戦」では、8年ぶりのBI砲結成に武道館が沸いた

主催の東スポは“儲け度外視”

 こういった合同興行でまず揉めるのは、“取り分”の問題だ。『夢のオールスター戦』は3団体合同興行ではあったが、実際の主催は東京スポーツ。ただし記念事業ということで、東スポは実費(必要経費)だけで、残る興行収益はすべて3団体へ分配するという形が取られた。3団体にとっては、リスクがなく大きな収益が得られるというおいしい話。実現が難しいとされた合同興行の話が比較的スムーズに進んだのは、東スポの“儲け度外視”の姿勢があったからだった。

 とはいえ、東スポは慈善事業的に『夢のオールスター戦』を開催したわけではない。東スポにとってプロレス人気は、新聞の売上に直結する話。自社の創立記念事業自体を、プロレス界全体を盛り上げるための起爆剤としたのである。それと同時に『夢のオールスター戦』翌日から新聞を10円値上げすることで、しっかりと収益を確保していた。

 また当時は新日本がテレビ朝日、全日本が日本テレビ、国際が東京12チャンネルとそれぞれ独占契約を結び、しのぎを削っていた時代。オールスター戦開催には、このテレビ問題がいちばんのネックになっていたが、それも各局とも試合のテレビ中継は行わず、報道ニュース扱いに限り専属契約の有無に関わらず放送できるという紳士協定を結び、各局の当日夜のニュースで約3分間の映像が放送されることで解決した。

8年ぶりの「BI砲」に武道館が沸いた日

 こうして不可能と思われていた『プロレス夢のオールスター戦』はついに実現。日本武道館には超満員札止めとなる1万6500人(主催者発表)の大観衆が集まり、凄まじい盛り上がりとなった。

 メインイベントは馬場と猪木のタッグチーム「BI砲」が約8年ぶりに復活し、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シンという全日本、新日本の外国人トップによる「史上最凶悪コンビ」と対戦。最後は、猪木がシンから逆さ押さえ込みで3カウントを奪い、BI砲の勝利となった。

 試合後、猪木はマイクを握ると「私は馬場選手と闘えるように、今後も努力していくつもりです! 二人が今度リングで会うときは、闘う時です!」と対戦をアピール。これに対し、馬場も笑顔で頷き「よし、やろう!」と快諾。当時のプロレス界最大の夢のカードである馬場vs猪木実現に向けて大きな前進を感じた場内のファンは爆発的な盛り上がりを見せた。

 そして最後は馬場と猪木がリング上で抱き合い、プロレス界の未来を照らすような感動的なエンディングを迎えたが、その後、夢のBI対決が実現することはなかった。猪木の対戦アピールは事前の根回しがまったくない、いわば“騙し討ち”であり、馬場が態度をさらに硬化させたためと言われている。

【次ページ】 「情報を漏らした東スポに馬場さんは激怒して…」

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