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甲子園出場時に寄付金「1億4000万円」の野球熱…「離島の希望」隠岐高が部員ゼロから“奇跡の復活”を果たすまで「部活がなくなって気づいた」 

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樫本ゆき

樫本ゆきYuki Kahimoto

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posted2023/05/06 11:03

甲子園出場時に寄付金「1億4000万円」の野球熱…「離島の希望」隠岐高が部員ゼロから“奇跡の復活”を果たすまで「部活がなくなって気づいた」<Number Web> photograph by Yuki Kashimoto

20年前に甲子園出場を果たした隠岐高校OBの岩水潤さん・藤野真一郎さん、安部大地部長、OB岩水潤さん、渡部謙監督、OB平田稔さん

 河瀬は「今は町をあげて、再建を図っていく流れになっています。センバツに出場したときの選手が後援会長になり、盛り上がっているんです」と話す。

 先述したように、1989年に軟式野球部から硬式野球部を立ち上げたのがこの河瀬だ。隠岐高野球部は、実は町の企業が“スポンサー”になって誕生したという。前身の軟式野球部は県で上位に勝ちあがるほど強かったが、島民からは「強くても甲子園にはつながらない……」と寂しがる声があった。「それならば!」と地元の33社が協賛して資金を作り、遠征にかかる本土までのフェリー代や宿泊費、物資などの支援をしたそうだ。

 地元熱の高さに、河瀬は「全国でも珍しい例ですよね。創部14年目で甲子園に行ったときは、それは島が大盛り上がりで、寄付金が1億4000万円も集まりました。6000枚用意したアルプス席のチケットが足りなくなって、追加で外野席を1000枚買ったほどです。あの時の熱狂は、今も語り継がれているのです」と振り返る。20年経った現在、この代のジュニア世代が野球をやり始めるようになった。地元野球チームの指導者になった者もいる。時代は巡るものだ。この流れを逃す手はない。

29歳部長が「インスタ担当」

 部長の安部は若い感性を発揮して、野球部の公式インスタグラムを担当している。隠岐の澄み渡った広い空や、満天の星空。隠岐汽船フェリーの写真とともに、卒業で島を旅立つ3年生部員のレポートなどを載せている。これが島で生きる高校生たちの野球なのだ、と見る者の心をほっこりとさせている。

 隠岐高はこれまで大学に進学する生徒が少なく、OBの指導者がいないことが課題の一つにもなっていた。河瀬の教え子であり、隠岐高野球部のアイデンティティを持つ安部からの発信は、地元で大きな影響力を持つ。外様である渡部は、自分にない安部の力を頼りにしている。

「会ってみたい!」あの加美農を訪ねて…

 渡部は、同時進行で県外に普及の場を広げていった。個人的な好奇心に突き動かされてではあるが、部員不足から脱却した高校野球の指導者にアドバイスを求めに私費を使って出かけた(家族の理解を得て)。

 大崎(長崎)・清水央彦監督の、部員不足から甲子園出場を果たした本気のチーム強化を学んだ。加美農業(宮城)・佐伯友也監督からは、過疎地で部員を倍増させたというWEB記事を読んで、同世代としての刺激を受けた。「この人に会ってみたい!」と思い立ち、高速船と飛行機を使って1日がかりの移動で会いに行った。

【次ページ】 部員ゼロで気づいた「犠牲合戦の現状」

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