甲子園の風BACK NUMBER
甲子園出場時に寄付金「1億4000万円」の野球熱…「離島の希望」隠岐高が部員ゼロから“奇跡の復活”を果たすまで「部活がなくなって気づいた」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byYuki Kashimoto
posted2023/05/06 11:03
20年前に甲子園出場を果たした隠岐高校OBの岩水潤さん・藤野真一郎さん、安部大地部長、OB岩水潤さん、渡部謙監督、OB平田稔さん
同校バスケ部顧問の若岡洋介教諭(32歳)もこの意見に賛同し、野球関係者ではない立場から「部活ももっと横の連携をとって『今月、バスケ部から〇〇君、野球部に貸すよ!』なんていう会話が普通に出るようになればいいと思うんですよ」と提言する。「そもそも隠岐高の子たちはみんな幼馴染で、子どものころから一緒にいろんなスポーツをやってきた仲間なんです。バレー部の子が野球の秋の大会で活躍したのを見ても、いろんなスポーツを掛け持ちでできるシステムが必要だと思います」。マルチスポーツ、シーズンスポーツの考えも、これからの未来、部員不足の救済策になると渡部は考えている。全国の野球部を見ても同じように成功した例はあるそうだ。
島外選手を受け入れる「決断」
新しい発想が次々に浮かぶ中、一つ大きな壁があった。「島外の選手を入れるかどうか」の問題だ。「島人根性」ではないが「島の野球部は島の子で」という考えはいまも根強い。島を出て本土で頑張る選手のことは応援できても、その逆は難しいと感じていたからだ。しかし、子どもの数が減る中、この考えに固執していたことが部員ゼロという現状を招いたことも確かだ。渡部は河瀬と話し合いながら、本土の選手にも声をかけていくことを決めた。
知り合いのつてで繋がった鳥取県の野球塾の指導者に連絡し、中学生に島に来て学校を見てもらうことになった。訪れた中学生たちは「こんな立派な室内練習場とグラウンドがあるのか」と驚いていたと言う。学校には寮があること、県の取り組みで「しまね留学」という制度があり助成金を受けられること。県外出身でも上手い下手問わずチャレンジできることをアピールすると、予想以上の好反応をもらった。中学生たちは「先輩がいなくていいかも」「試合にすぐ出られるぞ」と正直だった。「ベースは島の子で」という軸はもちろんある。私立と違って野球推薦で合格を出せるわけではないが、こういった島外へのアピールも継続的に行い、同時に島外入学生の生徒、保護者へのフォローも必要であると感じた。
そして、季節は春になった。捨て身の覚悟でさまざまなことにチャレンジしてきた渡部だったが「部員ゼロ」になってから8カ月間、自分なりに最善を尽くしてきたつもりだ。