甲子園の風BACK NUMBER
甲子園出場時に寄付金「1億4000万円」の野球熱…「離島の希望」隠岐高が部員ゼロから“奇跡の復活”を果たすまで「部活がなくなって気づいた」
posted2023/05/06 11:03
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph by
Yuki Kashimoto
隠岐諸島・島後(どうご)の繁華街にある居酒屋「鱗(りん)」はこの日も大賑わいだった。待ち合わせをしているわけでもないのに、大勢の元野球人が集まってくる。テーブルのあちらこちらから野球の話が聞こえてくるのだ。日付が変わっても話題は尽きない。この日は6時間近く野球談議に花を咲かせていた。
「隠岐高野球部は島の希望なんです」
「ここすごいでしょ? 島の人ってみんなこうなんです。野球が大好きなんですよ」
ある客人がそう言うと、隠岐高野球部の後援会長で店主の要戸(ようど)一幸が笑いながらうなずいた。要戸は隠岐高のOBで軟式野球部から硬式野球部に移行した時の部員。現在、隠岐高の外部コーチとして指導する河瀬倞三(76歳)が、「現役バリバリの監督」だったころ、選手として夏の島根大会決勝まで進んだ経歴を持つ。硬式に移行してたった2年で決勝進出。もちろん、ここでは書けないような猛練習があったわけだが、そんな話を幸せそうな顔でしていた。
「あの日は島の景色から人が消えたよね」
「そうそう、甲子園に行ってるか、家でテレビを見てるかのどっちかだったよ」
「浦和学院強かったよなー。よく1点取れたよ(1-15で敗戦)」
ここでの酒の肴は“20年前の甲子園”が断トツ人気。ほかにも甲子園に行けなかった時代の苦労話、島外に行って活躍している選手たちの話……と、思い出話は尽きない。この様子を見ていた隠岐高の現監督・渡部謙は「見てお分かりいただけるでしょう? 隠岐高野球部は島の希望なんですよ」と誇らしげに話した。「この20年、5人も監督が替わったけれど、ナベちゃんほどもがいて苦しんでいる監督はいなかったよ。だから応援したくなるんです」。そう言って要戸が渡部の肩を叩いて励ました。
寄付金「1億4千万円」が集まる野球熱
渡部はかつての甲子園出場校が野球部員ゼロとなった昨秋7月下旬から、スイッチが入ったように動き出していた。部活動がなくなったことで、時間はたっぷりある。OBで部長の安部大地教諭(29歳)、そして河瀬と話し合い、部の特徴、魅力を再確認。地元にいる卒業生や学童チームとの連携を強めていった。