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離島から甲子園出場→20年後は部員ゼロの衝撃…隠岐高校・34歳監督が明かす“行動しなかった”後悔「一度ゼロになると負の連鎖が…」

posted2023/05/06 11:02

 
離島から甲子園出場→20年後は部員ゼロの衝撃…隠岐高校・34歳監督が明かす“行動しなかった”後悔「一度ゼロになると負の連鎖が…」<Number Web> photograph by Yuki Kashimoto

島根県立隠岐高校の野球部監督・渡部謙(34歳)。バックは隠岐諸島と本土(島根県、鳥取県)を結ぶフェリー

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樫本ゆき

樫本ゆきYuki Kahimoto

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Yuki Kashimoto

 歓喜のWBC優勝を「野球の未来」にどう生かすべきか――。そのヒントを探るべく訪れたのは、20年前に甲子園出場を果たした島根県立隠岐高校。「部員ゼロ」の離島で奮闘する34歳監督を追った。〈『Number Web』ノンフィクション 全3回の#2/#1#3へ〉

 広いグラウンドはあるのに、人がいない……。「甲子園出場校」の光景に言葉を失ってしまった。

 日本海西部に浮かぶ4つの離島、隠岐諸島。その中で面積も人口(1万3400人)も最も多い島後(どうご)にある島根県立隠岐高校だ。島根・鳥取県境の港から高速船で1時間の場所にある。「地球を知ることができる土地」としてユネスコ世界ジオパークに認定された自然豊かな土地で、離島特有の動植物が見られ、古くから愛される「古典相撲」や「牛突き」の伝統文化が残る。火山活動によってできた島の歴史は、約3万年。承久の乱で敗れた後鳥羽上皇が生涯を終えた島でもある。身分の高い人が遠流(おんる)された土地であることから、京都の品格がどこか漂う。島民の話し方に「京ことば」のイントネーションを感じるのはそのためだ。神話、神社、神楽が残り信仰深いアニミズムの空気が流れる。

室内練習場もあるのに「部員がいない」

 島後には2つの高校があるが、もう一つの隠岐水産高には軟式野球部しかない。“島唯一の硬式野球部”である隠岐高は平成元年の1989年に軟式から硬式へ移行し、創部された。校内の野球部グラウンドは水はけがよく、広さはライト90m、レフトは推定120mあるだろうか。とにかく広い。バックネット裏には手作りの観客スタンドがあり、ブルペンも屋根付きで十分な状態。そして何より目に飛び込んでくるのが、21世紀枠で出場した2003年センバツ大会後に建てられた鉄筋コンクリート製の室内練習場だ。マシン打ちはもちろん、内野ノックもできる広さ。テニスの壁打ちができるように、多目的に活用できる工夫もされていた。都会にあったらもちろん有料級の施設だろう。ネットも綺麗で、錆や煤もない。こんなに立派な野球環境なのに、たまにオキノウサギが遊びにくるくらいで、球音が響くことはない。なぜなら、部員がゼロだからだ。

 <20年でこんなに変わってしまうものなのか>。高校野球の過疎化が加速している現実を目の当たりにした。筆文字で書かれた「島から甲子園」の貼り紙が、甲子園出場校の栄枯盛衰を無言で伝えているように思えた。

無人のグラウンドを整備する34歳監督

 この状況下で、黙々とグラウンド整備を続けているのが顧問の渡部謙監督だ。

 34歳。商業科の教員として6年前に赴任し、2人の子どもと妻の4人家族で生活している。

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