Jをめぐる冒険BACK NUMBER
空白の9カ月から始まった“中村俊輔のオシムジャパン”「一緒にW杯を戦いたかった」「オシムさんには未だに考えさせられている」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKiichi Matsumoto
posted2022/11/20 11:04
先日、現役引退を発表した中村俊輔。オシム監督が発した言葉の意味を今も考え続けている
俊輔が最後にオシムと会ったのは10年南アフリカW杯直前のイングランド戦後のことだった。オシムは自身が暮らすグラーツで行われたこの試合を観戦し、日本代表の宿舎を訪れた。
そこでオシムは俊輔に「おまえはベンチに座っている選手じゃない」と激励している。足首を負傷していた俊輔は、このゲームからスタメンを外れていたのだ。
一方、俊輔にとって思い出深いのは、横浜F・マリノスがJ1の首位を走っていた13年の出来事だ。雑誌に掲載されたインタビューの中で、オシムが自分について語っているのを目にした。
「ナカムラがまだチームで一番走っていて、首位のチームを引っ張っているのが嬉しい、といった感じで褒めてくれていて、それはすごく励みになった。切り取ってサッカーノートに貼ったくらいだから」
数々のチームでプレーした俊輔にとって、オシムはどんな存在だったのか。
「指導者の枠を超えていた。それにオシムさんの言葉や教えは、時間が経つと感じ方も変わってくる。だからこそ、みんなの心に残っているんだと思う。そもそもヨーロッパでも引く手あまただったのに、トップリーグでもないJリーグに来てくれて、代表監督にまでなった。日本のサッカーを強くしたい、何かを伝えたいっていう思いがすごく伝わってきた。その腹の括り方や覚悟がすごかったと思う」
「オシムさんには未だに考えさせられている」
22年5月1日にオシムが亡くなって数日後のことである。
松井大輔から突然、電話が掛かってきた。日本代表でともにプレーした3歳下の松井とは、磐田や横浜FCでもチームメイトだった。11月の俊輔の引退会見にも駆けつけてくれたほどの仲である。
「暇だから電話してきたんだと思うんだけど」と俊輔は笑うが、取り止めのないサッカー話から、自然とオシムの話になった。
そこで俊輔はずっと疑問に思っていたことを松井に尋ねた。
「(07年9月の)スイス戦で0-2とリードされたあと、松井がPKを取って俺が決めたりして、2-2に追いついた直後の70分頃、松井が山岸(智)君と交代になった。2列目は俺とヤット(遠藤)と松井だったから、唯一ドリブルで仕掛けられるのが松井。それなのに、これからだっていうときに代えるのかって驚いたんだけど、松井も当時、『えっ!?』っていう顔をしていて」
2-2のスコアだと、その先どう転ぶかは誰にも分からない。
「山岸君は松井とタイプがかけ離れているわけではないけれど、似てるわけでもない。山岸君は機動力や守備力があったから、いったん守備の強度を高めたかったのかなとか、出てくる相手の裏を狙わせたかったのかなとか」
俊輔がそんなふうに分析すると、松井も「分からないっすね」と答えた。
「俺自身もそう。3-3で迎えた後半のアディショナルタイムに憲剛と代わるんだけど、俺を残しておけばセットプレーとか、ワンチャンスを活かせる可能性もあるでしょ。でも、俺を下げて、それで逆転しちゃうんだから。オシムさんには未だに考えさせられている」
わずか10試合――。期間にして半年しか、ともに戦っていない。
それでも中村俊輔にとって、オシムは特別な存在だった。
引退会見で理想の監督像について聞かれた俊輔は、「作らないようにしている」と表現した。
「自分の感覚とかモノサシでやると、逆に伝わらなかったり、いいことがないかもしれない。だから、演じなきゃいけないときもあるかもしれない。B級(ライセンス)を取るときも、自分は答えが分かっているから教えすぎだって言われて、なるほどなって。そこを促して、選手に自分で気づかせることも大事だと思います」
たっぷりと影響を受けたことは間違いないが、俊輔は「オシムさんのように」とは言わなかった。真似をすればいいわけではないと、十分に分かっているからだろう。
オシムから受けたインスピレーションを生かしながら、俊輔は俊輔なりに指導者への道を歩んでいく。
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