サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「アゴをケガしてなかったら…冨安健洋は水泳選手だったかもしれません」地元の小学校恩師が明かす“冨安が小1でサッカーを始めた日”
posted2022/11/20 17:01
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph by
Sanchiku Kickers/Getty Images
「あそこですよ。タケが走っていたのは」
「小学生の頃から背は高く、周りの子と比べると頭1つ抜けていました。それに、とにかく向上心がハンパじゃなくて、いくら練習しても『まだまだ』って。私は約30年間、少年団で指導してきましたが、タケほど謙虚で探求心が強い子は見たことがないです。練習や試合のときに指導していても、小学生は横を向いてほかの子としゃべったり、下を向いて話を聞いているのかわからないときもありますが、タケはいつも目が合いましたから」
日本代表DF冨安健洋(24歳)が小学1年から6年まで所属していた三筑キッカーズ(福岡県福岡市)。チームの総監督を務める辻寛二さん(72歳)は、車のハンドルを握りながら懐かしそうにそう話した。
辻さんは、かつて冨安が夢中でボールを蹴った練習拠点・三筑小学校の校庭を案内してくれると、また少しだけ車を走らせ、くの字形マンションのカーブした廊下を指差した。
「あそこですよ。タケが走っていたのは」
冨安がまだ小学1年だった2005年、辻さんは知人の住むそのマンションを訪れた。幅1.5メートルほどの緩やかにカーブした外廊下を猛然と駆け抜けて行く冨安少年の姿に衝撃を受け、三筑キッカーズに勧誘したと振り返る。
「走る姿勢がよくて、足さばきもいい。当時はタケがどこの家の子かもわかりませんでしたが、『あの子何年生?』とそのマンションの知人に聞くとまだ1年生だって。それで、会ってみるとすごい選手になるかもしれないとピンときました。足のサイズと両親を見て、ああこの子は身長が伸びるなぁと」
「もしかしたら…タケは水泳をやっていたかもしれません」
冨安は陸上選手だった母と剣道をしていた父のもとに生まれ、2人の姉がいた。姉たちがスイミングスクールに通っていたこともあり、何もなければ冨安はそのあとを追って水泳を始めていたかもしれない。
だが、冨安は幼稚園時代に、祖母の家のランニングマシンで遊んでいるときに、あごを縫うケガを負う。そのため当時スイミングスクールに通うことなく、小学校入学の時期を迎える。