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空白の9カ月から始まった“中村俊輔のオシムジャパン”「一緒にW杯を戦いたかった」「オシムさんには未だに考えさせられている」 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2022/11/20 11:04

空白の9カ月から始まった“中村俊輔のオシムジャパン”「一緒にW杯を戦いたかった」「オシムさんには未だに考えさせられている」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

先日、現役引退を発表した中村俊輔。オシム監督が発した言葉の意味を今も考え続けている

 アジアカップで、韓国との3位決定戦が終わったときのことだ。オシムが俊輔のところへ寄ってきて、耳元でボソッと「こんなに走れる選手だとは思わなかった。申し訳ない」と言ったのである。

「あのときは嬉しかったな。自分なりにオシムさんのサッカーを理解しようと努力していて。もともと走る量はあったけど、アジアカップではいろいろ考えて走っていたから」

 この灼熱の東南アジアで行われた大会で日本は4位となり、3連覇を逃してしまったが、俊輔はオシムが段階を踏みながらチーム作りを進めていることを感じ取っていた。

「暑いなかでもメンバーを変えなかったから。パフォーマンスが悪かったら変更したり、疲労を考慮してターンオーバーさせたりする監督はいるけれど、オシムさんはしなかった。チームのベースを作っているんだな、形を作っているんだなって思った。実際、アジアカップのメンバーがベースになって、そこに9月のオーストリア遠征ではイナ(稲本潤一)や松井(大輔)が入ってきた。オーストリア戦やスイス戦では(中村)憲剛がスタメンから外れてイナが起用されたから、同等や格上とやるときは守備の強度を高めたいんだなって。段階を踏んで戦い方の幅や選手層を広げていこうとしているのは感じていた」

 まさに9月のオーストリア遠征でのスイス戦は、その時点での集大成のようなゲームだった。前半は0-2とリードされたものの、俊輔のふたつのPKとフリーキックによるアシストで逆転し、1年後のEURO2008の開催国を4-3と撃破する。

「スイス戦を見れば分かるんだけど、ボールをパンパンはたいて、動いている。(センターバックの田中マルクス)闘莉王が前線に当てて、ヘディングで落として、俺がシュートするふりをして巻に出したり。オフサイドだったけど、すごくいい形だった。オシムさんは後半、スイスを逆転して、すごく嬉しそうだった。試合中にあんな笑顔を見たのは初めてだったかもしれない」

オシムの“日本化”は俊輔の考えと合致した

 オシムは“日本代表の日本化”を掲げていたが、それは俊輔の考えと合致するものだった。俊輔自身、日本が世界で勝つために、日本のオリジナルを確立することにこだわっていたからだ。

「代表でもブラジルとかフランスと戦ってきたし、セルティックでもマンチェスター・ユナイテッドやミラン、バルサと対戦してきたけれど、連動したコンビネーションを使って、組織で対抗しないと勝てないと感じていた。だから、オシムさんのもとでプレーするようになって『これ、これ』と思った。オシムさんは連係・連動なんて言わないけど、オシムさんの練習をこなしていくと、自然とコンビネーションが磨かれるようになっていた。オシムさんも『日本人は集団になったら、すごく強いぞ』と言っていたからね」

 だから、残念でならなかった。ここからというときに、オシムが代表監督を退任することになってしまったのだから。

「オシムさんに、まだまだプランがあったのは間違いない。だからこそ一緒にW杯を戦いたかったなって思う。どんなチームで、どんな戦い方をしたのか。ワンランク上のオシムさんを経験したかった。『全員が水を運べるようになったから、(鈴木)啓太、お前は違うものを運べるようになれ』とか言ってたかもね(笑)」

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