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貴乃花の口から出血、5針縫うツッパリ連打…高校時代は「負けると壁を叩き、モンゴル語で吠えた」朝青龍が“無敵の悪役”横綱になるまで
posted2022/09/27 17:14
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
BUNGEISHUNJU
若貴ブームの去った土俵を牽引した朝青龍という横綱は、良くも悪くも大相撲の世界に新風を吹かせていった。いったい彼の存在は相撲界にどんな意味を与えたのか。そして、その原点はどこにあったのだろうか?(全3回の1回目/#2、#3へ)
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2001年4月8日、大阪城ホールで行われた結びの一番のことを覚えているとしたら、その人は相当な好角家かもしれない。
その日は大相撲勝抜優勝戦の2日目が行われていた。興行のトリを飾る幕内トーナメント決勝に勝ち上がったのは横綱・貴乃花と、もう一方はモンゴルの新鋭、この時まだ平幕の朝青龍だった。
17歳で来日し、明徳義塾高校を経て角界入りした朝青龍は、1999年の初場所で初土俵を踏むと、2年余りで小錦に並ぶスピード三役昇進を決めていた。まだ21歳。将来は大関、横綱も狙える存在として注目されていた。
本場所よりも早く、ここで訪れた貴乃花と朝青龍の初対決。とはいえ、この日はあくまで花相撲。本場所とは違う。会場のお客さんはそう考えていたはずだ。さしもの貴乃花でさえ多少はそう思っていただろう。そして……モンゴルの狼だけが、そんなことはお構いなしに猛々しく飢えていた。
軍配が返った瞬間、貴乃花はどう来るんだ?といった感じで様子を見ながら立った。状況を考えれば当然の動きだろう。ところが、朝青龍は火の玉のような勢いで突っ込んでいった。貴乃花が面食らうひまもなく、腕を肩から引っこ抜いてそのまま投げつけるような激しい突っ張りを右、左、右。大横綱の顔面へとぶち込んでいく。
擾乱を目論むテロリストの蛮行か、それとも時代を変えんとする勇者の挑戦か。一気に沸き返る館内。支度部屋では見守る力士たちまで騒然となっていた。特に怒りにも似た声を挙げていたのは貴乃花の付け人たちだったという。
沈思黙考――。深い思索の海の中で相撲道を追求した貴乃花は、付け人に気安く声をかけたり、また付け人にとっても声をかけられるような存在ではなかった。そんな大横綱の身の回りの世話をする彼らは、いつも貴乃花の心の水面にどんな小さな揺らぎも起こさぬように細心の注意を払って動いていた。
猛暑の名古屋場所でも貴乃花が冷房の風は体に悪いと思えば車内の冷房は消して汗だくで場所入りし、巡業でも時には炊飯器を持参して冷えた弁当ではなく炊きたての温かいごはんを用意したのだ。
それなのに、そんなことはまるで気にも留めず、水遊びする小学生みたいにバシャバシャと水面に波を立たせる礼儀知らずがいたのだ。苛立つのも当然だろう。
もちろん土俵上にいる朝青龍にとっては知ったことではない。なおも攻め続ける。のけぞる貴乃花の口に赤い血が、滲んだ。
「頭に円形脱毛症みたいなところがあった」
「これどうやって返すねん?わかんねえよ」
丸刈りのモンゴル人は流暢な言葉で話しかけてきた。日本語うまいなぁ。現在、千葉県柏市で少年相撲クラブ『柏力会』の監督を務める永井明慶は、最初にそう思ったことをよく覚えている。