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18歳だった朝青龍の“やんちゃ伝説”「ケンカで浴衣をビリビリに」「タクシー通学で激怒され…」それでもなぜドルジは嫌われなかったか?
posted2022/09/27 17:15
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
JIJI PRESS
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相撲部屋に入門した新弟子は、まず国技館の敷地内にある相撲教習所に通いながら相撲の基礎のほか、歴史などの座学や甚句を学ぶ。
1998年の九州場所で初土俵を踏んだ元幕内・春日王の金成澤(キム・ソンテク)は教習所の稽古場で初めて朝青龍と出会った。
「私が九州場所で入って、横綱が次の初場所で入ってきました。とにかくすごい負けず嫌いでしたね」
2011年に協会を退職した春日王は一昨年、インターネット広告の代理店「KASUGAO」を日本で立ち上げた。Tシャツの下で盛り上がったたくましい体に力士の面影を残している。
「当時、朝青龍関は体重は軽かったけど、細くて均整が取れた体でしたね。明徳義塾から来ていることは知らなくって、一緒に稽古をしてみたらスピードは速いし、18歳なのに力も強かった」
ランニングでいつも1位だった
その年の春場所では100人以上の新弟子が新たに加わり、教習所はぎちぎちに膨れ上がった。3つある稽古土俵はレベルに合わせてA、B、Cに分けられ、A土俵はアマチュアで実績のある精鋭に加えて、三段目や幕下クラスの教官たちも参加するハイレベルな土俵だった。
仁荷大3年時に韓国相撲シルムでアマ王者となった春日王もA土俵だった。体格差とパワーを生かして四つに組み止めれば、朝青龍に対しても分がよかったという。
「横綱は足を取ってきたり、四つ相撲も取れたけど、立ち合いではとにかく突っ張ってきました。それはよく覚えてますね。最初はやっぱり僕の方が力があったんで、そんなに負けなかったですよ。まあ、横綱がどう思ってるかはわからないけど(笑)」
ただ、相撲の勝ち負けは別にして敵わないと思わされることは何度もあったという。
教習所の朝はランニングから始まる。国技館の敷地内をぐるぐると3周するのだが、いつも1位でゴールするのが朝青龍だった(そういえば朝青龍は最近SNSで何度もランニング姿を公開しているが、引退後のお相撲さんがランニングしているなんてかなり珍しい話だ)。