大相撲PRESSBACK NUMBER
貴乃花の口から出血、5針縫うツッパリ連打…高校時代は「負けると壁を叩き、モンゴル語で吠えた」朝青龍が“無敵の悪役”横綱になるまで
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2022/09/27 17:14
2010年1月場所で25度目の優勝を果たし、翌月に不祥事で現役引退。横綱・朝青龍とは何者だったのか?
1998年のインターハイ相撲競技の開会式。入場行進の先頭には前年度優勝校の明徳義塾と準優勝の埼玉栄が並んでいた。ところがこの年、明徳義塾は県大会で敗れ、全国切符を逃した。そのため、個人戦で出場資格を得て初めて大会にやって来たドルゴルスレン・ダグワドルジ、のちの朝青龍に優勝旗返還のお鉢が回ってきたのだ。勝手が分からないのも無理はない。
いまでこそモンゴル人留学生の存在は珍しくなくなったが、当時はまだ大相撲の世界で旭鷲山や旭天鵬が活躍し始めた時代で、ハワイからモンゴルへとトレンドが移っていこうかという過渡期だった。
「それまで高校相撲で外国人といっても日本在住の外国人以外は出ていなかったと思います。そんな中でついに明徳義塾が留学生を起用し始めたかと話題になっていたんです」
永井はモンゴル人が入ったという話は聞いていたが、実際に見るのはこの時が初めてだった。開会式でのやり取りもあって、会場では朝青龍とゆっくり話をする時間もあったという。
「頭に円形脱毛症みたいになってるところがあったので、どうしたの? って聞いたんです。そしたら、草原で同級生とボコボコに殴り合っていた時に鷹だか鷲にドン!と突かれて生えてこなくなったと(笑)。ケンカはもうやめろというお告げだと思ったと言ってました」
「モンゴル、やばいぞ」「まるでスパイダーマン」
武勇伝のつもりなのか、スピリチュアルな話なのか。いま聞いても意図を汲みづらいエピソードだが、ともかくモンゴル時代から草原でどつきあいをするようなヤンチャ坊主だったことはわかる。神がかった髪の話ばかりではなく、相撲の話もたくさんした。永井が驚かされたのは朝青龍がとてもクレバーで研究熱心なことだった。
「あの高校には誰がいて、あいつはこうやってまわしを取ると強いんだとか、隠すこともせずに何でも喋ってきました。本当に相手をよく見ているし、頭がいいなと思いましたね」
ウォーミングアップを行う練習土俵では誰彼なしに話しかけ、その選手の対戦相手を聞いては「あいつはこうやって差してくるから、お前はこっちからいけ」と勝手に攻略法を教えて回っていた。一体、言われた方はどう思っていたのだろう。
しばらく経った別の大会でのことだが、永井はこんなふうに朝青龍に送り出されたこともある。
「俺、明日誕生日だから、お前頑張れよ」
「……意味わからん」
一方で自分に役立つ情報も「どうすればいいんだよ?」とあちこち尋ね回って集めていた。
「勝つためには誰にでもアドバイスを聞きに行く感じで、すごく貪欲でしたね」