大相撲PRESSBACK NUMBER
朝青龍が貴乃花にいきなり「おい、俺に胸出せ!」曙がビックリして「俺が出す」…“モンゴルマン”と馬鹿にされた悪童のありえない話
posted2022/09/27 17:16
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
BUNGEISHUNJU
2000年代中頃、角界の主役はいつだって朝青龍だった。土俵上での鬼気迫る迫力と、圧倒的な実力は、それだけで多くのファンを惹きつける要因でもあった。一方で、その奔放すぎる立ち振る舞いは、少しずつ自身の立場も危うくしていく。力士生活の締めくくりは、不祥事での引退という形だった。
それからしばらく経った後、その血を受け継ぐある力士が誕生している。現在、大関をうかがう気鋭の力士が生まれたその裏側には、一体なにがあったのだろうか?(全3回の3回目/#1、#2へ)
それからしばらく経った後、その血を受け継ぐある力士が誕生している。現在、大関をうかがう気鋭の力士が生まれたその裏側には、一体なにがあったのだろうか?(全3回の3回目/#1、#2へ)
◆◆◆
両国国技館の2階席から朝青龍そっくりの鋭い眼差しが土俵に注がれていた。
2014年の夏場所4日目、当時柏日体高の相撲部監督を務めていた永井明慶は学生たちを連れて校外学習に訪れていた。大江戸博物館見学から相撲観戦へ。その中に朝青龍の甥っ子、レスリングで同校に留学していたスガラグチャー・ビャンバスレンがいた。
この日一番の盛り上がりを見せたのは、新横綱・鶴竜と当時フィーバーを巻き起こしていた平幕の遠藤の取組だった。
立ち合いから横綱を押し込んだ遠藤が体を浴びせながら鶴竜を土俵下へと寄り倒した。ようやくまげを結えるようになったばかりの23歳が手にした初金星。館内は沸き立ち、まだ取組を残しているのに座布団が宙を舞った。
その光景が青年の心に何かを残した。
帰宅後、ビャンバスレンが思い詰めたような表情で永井のところへやってきた。
「先生。俺、相撲がやりたい」
驚いた永井が理由を問いただすとこう答えた。
「叔父さんがあんな大きな舞台で横綱としてやっていた。あらためて尊敬しました。俺も追いつきたい」
朝青龍から電話「俺みたいに熱い男はいないだろ!」
これが現在の関脇・豊昇龍誕生のきっかけとなるのだが、すんなり転向とはいかなかったようだ。
「レスリングの留学生として来ていて、その予算の調整もあったし、朝青龍が日本に来て『ダメだ!』と説得してたんですね。でも、そのうちに『永井、なんとかならないか?』と変わっていった。そこから豊昇龍の相撲人生が始まった。運命って突然変わるんですね」
永井のもとには叔父さんからちょこちょこ連絡が入る。