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稲尾和久vs金田正一、どちらが上か? ベストシーズンを比べてみた…「8歳から漁の手伝い」「入団当初は打撃投手」知られざる“稲尾伝説”
posted2022/07/14 06:00
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
BUNGEISHUNJU
大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。金田正一、田中将大、ダルビッシュ有に続く第4回は、シーズン42勝の日本タイ記録を持つ「神様、仏様、稲尾様」こと稲尾和久(西鉄)だ。
入団当初は「打撃投手」…32歳で引退も「276勝」の偉業
2013年に楽天・田中将大がシーズン24連勝を達成し、それまで日本記録だった稲尾のシーズン20連勝(1957年/西鉄)を更新した。二人を知り、どちらが上かを問われた野村克也は「二人ともエースに必要な能力を全て持っているが、ひとつだけ、稲尾に比べて田中はもうひとつだな、と思えるのは観察力、洞察力の部分である。稲尾は打者の気配を察して、リリースの瞬間まで球種を変えることができた。田中はまだ稲尾の域までには達していない」と、田中の更なる成長に期待しつつも稲尾に軍配を上げている(『私が選んだプロ野球10大「名プレー」』/青春出版社)。
稲尾は1937年、大分県別府市の漁師の家に生まれた。別府緑丘高校時代は無名の存在だったが、臼杵高校(大分)にいた一学年上の和田博実(西鉄で捕手として長く活躍)の試合を視察に訪れていた西鉄スカウトの目に留まった。しかし、稲尾の投球を見た首脳陣の評価は低く、打撃投手としての採用だったといわれる。
実際、春のキャンプでは当初、主力相手に打撃投手を務めていたが、キャンプ終盤に大下弘、中西太、豊田泰光といった西鉄の猛者たちを圧倒する投球を披露。三原脩監督に認められ、開幕一軍入りを果たした。結局、新人の56年に21勝6敗、防御率1.06で、最優秀防御率のタイトルを獲得。防御率1.06は今も残るパ・リーグ記録で、規定投球回に達した上でのシーズン被本塁打2本もリーグ最少記録である。
2年目の1957年からは、プロ野球史上最強とも謳われる三原監督率いる西鉄の大エースとして、3年連続30勝以上の日本記録を達成。デビューから8年の間に234勝(年平均29勝)をあげ“鉄腕”と呼ばれたが、9年目の64年に肩を痛めて0勝。実働14年(56~69年)で通算276勝137敗、勝率.668、防御率1.98の成績を残し、32歳の若さで引退した。
語り継がれる58年日本シリーズ…「神様、仏様、稲尾様」
福岡を拠点とする西鉄ライオンズは、1951年にパ・リーグに加盟。稲尾が入団した56年に初の日本一に輝き、下した相手が“球界の盟主”巨人だった。西鉄監督の三原脩にとっては、巨人の監督を追われるきっかけになった水原茂(当時・円裕)との直接対決に勝っての初戴冠とあって、福岡のファンは大いに盛り上がった。