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「お前、2回目だろっ!」巨人・落合博満40歳が死球に激怒、ヘルメットを叩きつけた日…原辰徳36歳は落合をライバル視「あの人より、先には辞めない」

posted2024/11/23 11:02

 
「お前、2回目だろっ!」巨人・落合博満40歳が死球に激怒、ヘルメットを叩きつけた日…原辰徳36歳は落合をライバル視「あの人より、先には辞めない」<Number Web> photograph by KYODO

1994年8月10日。斎藤隆(横浜)のデッドボールに怒り、ヘルメットを叩きつける落合博満40歳

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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KYODO

40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売1カ月で3刷重版と売れ行き好調だ。
その書籍のなかから、「デッドボール事件」を紹介する。40歳、ボロボロの体に追い打ちをかけるようにデッドボールが続き、とうとう落合がキレる。【全2回の後編/前編も公開中】

◆◆◆

いきなり「落合今季限り引退」報道も…

 前半戦を48勝30敗の首位通過。2位ヤクルトに8・5ゲーム差をつけ、折り返した巨人は、後半開幕前夜の7月22日、長嶋監督自ら選手、裏方を含めた全員を呼んで、ポケットマネーで決起集会を開いた。7月24日の中日戦(ナゴヤ)で監督通算500勝を挙げたが、試合後に珍しく記念のウイニングボールを受け取り、じっと見つめるミスタープロ野球の姿。その日、最愛の母の訃報が届くなかで指揮を執り、手にした勝利だと周囲が知るのは、半月後のことである。

 だが、直後の甲子園で阪神に3連敗。落合は移動日に敵地のサウナ風呂のような室内練習場にこもって30分以上にわたり打ち込むも、コメントを求める記者に「打ってないよ。体操をしてただけ」ととぼけてみせた。この時点で7月は7勝12敗とシーズン初の月間負け越しが決まり、月末には宿敵ヤクルトが待つ神宮球場での2連戦が待ち受けていた。そんな失速気味のチームを救ったのは、マスコミから限界説を囁かれていた六番打者だった。7月22日に36歳になった、原辰徳である。

原辰徳にも引退報道「辞めるときはいうから…」

 左アキレス腱の部分断裂から、6月14日にようやく一軍復帰するも7月の打率・184と低迷。下半身の不安からか満足にフルスイングすらできず、スタメン落ちが続き、現役引退の噂が絶えなかった。斜陽の背番号8は、7月30日のヤクルト戦もベンチスタートだったが、8回表に代打で登場すると岡林洋一から、チーム初得点となる3号同点アーチを左翼席に叩き込む。この一撃で息を吹き返した巨人は逆転勝ちで連敗ストップだ。

「チームの勝利を求めて、忠誠心を持って毎日ユニフォームを着ている。出番がどんな形でもね」

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