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稲尾和久vs金田正一、どちらが上か? ベストシーズンを比べてみた…「8歳から漁の手伝い」「入団当初は打撃投手」知られざる“稲尾伝説” 

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2022/07/14 06:00

稲尾和久vs金田正一、どちらが上か? ベストシーズンを比べてみた…「8歳から漁の手伝い」「入団当初は打撃投手」知られざる“稲尾伝説”<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

プロ野球史上No.1投手を探る旅。第4回で取り上げる投手は稲尾和久だ(1962年撮影。左は川上哲治監督)

 とはいえ、球威で打者を圧倒するのが本格派の投球スタイルであり、技巧派は投球術により打者を抑えるスタイル。だから、打者圧倒度だけで優劣をつけるのは技巧派に対してフェアではないだろう。

 そこで注目すべきは、稲尾の奪三振353という数字だ。あの江夏豊の401奪三振以前の日本プロ野球記録であり、現在でも歴代2位の数字である。稲尾は、緩い球でのらりくらりと打者をかわすタイプの技巧派ではなく、球威で圧倒しようと思えばできるであろうダルビッシュのような「本格派と技巧派のハイブリッド投手」といえるのではないか。

 実際、若さに任せて本格派の投球をしていた一年目と二年目に、稲尾は防御率1.06、WHIP0.85と、金田に勝るとも劣らない打者圧倒度を示している。

 また、当企画では時代の異なる現代の投手に対してフェアでないので重視してこなかった登板数だが、稲尾と金田のような同時代の投手にとっては意味を持ってくる。

最強チームでエース。大車輪の活躍を見せた“凄み”

 金田は万年Bクラスの弱小国鉄のエースとしてバックには恵まれなかったが、優勝争いには縁がないので、ある程度登板数をしぼることができた。対して稲尾は、常に優勝を争う西鉄のエースとして、先発、中継ぎ、抑えとプレッシャーのかかる場面で大車輪の活躍を見せた。いかに鉄腕とはいえ、登板数が多くなれば、いち投球ごとのクオリティが多少なりとも低下するのが普通だろう。ましてや、飛行機移動や新幹線のなかった時代。福岡に本拠地を置く西鉄は東京拠点の国鉄に比べて、移動による体力の消耗も大きかった。

 こうしたバックグラウンドも考慮した上で、二人の数字を改めて比較した場合、それでも沢村賞の選考基準7項目のうち登板数、完投数、勝利数、勝率、投球回、奪三振数の6項目で上回る稲尾に軍配を上げることとする。

 さて次回だが、新チャンピオンの稲尾が42勝をあげた1961年に、セ・リーグで稲尾を上回る投球回で35勝をあげた驚異の新人を取り上げる。同年、沢村賞を受賞した「権藤、権藤、雨、権藤」の権藤博(中日)である。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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