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「ぼくのゆめは、しょうぎ名人だ」小学校3年での決意を21歳で現実に…「中学生棋士」谷川浩司と藤井聡太に共通する“母親の支え” 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2022/06/15 11:00

「ぼくのゆめは、しょうぎ名人だ」小学校3年での決意を21歳で現実に…「中学生棋士」谷川浩司と藤井聡太に共通する“母親の支え”<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

若き日の藤井聡太五冠と谷川浩司九段には共通点があったという

 谷川は「兄は私より強く、絶好の目標でした。兄がいなかったら、今の私はなかったと思います。最初の師匠は百科事典で、二番目の師匠は兄でした」と、後年に棋士になってから述懐した。

 なお、兄の俊昭さんは灘高校から東京大学へと名門コースに進学し、大手の光学機器メーカーに入社した。アマ棋界で活躍し、アマ王将戦で連続優勝した。

片道1時間40分ほどかけて将棋連盟関西本部へ

 谷川は1973年2月、関西奨励会の入会試験を5級で受けて合格。4月から奨励会の例会(月に2回)に11歳で参加した。師匠は定期的に指導を受けていた若松正和四段(内藤八段の弟弟子)。

 当時の将棋連盟関西本部は、大阪市南部の天王寺から2キロほど南の阿倍野区北畠にあった。神戸市須磨から山陽本線と地下鉄を乗り継いで、片道で1時間40分ほどかかった。小学生の谷川が独りで通うのは大変だった。

 母親の初子さんは早朝に起き、谷川に付き添って9時に始まる関西本部での例会に送り届けた。そして、須磨に引き返して家事をすませてから、夕方に迎えに行った。1日2往復で約7時間の乗車だった。母親の谷川の送迎は1年も続いた。

藤井五冠と共通する「母親の支え」とは

 実は、藤井聡太(五冠)も小学生時代に同じような経験をした。

 藤井は2012年10月、関西奨励会に10歳で6級で入会した。母親の裕子さんは早朝に起き、例会のたびに藤井に付き添った。地元の愛知県瀬戸市から名鉄・新幹線・JRを乗り継いで、現在の関西将棋会館(大阪市福島区)に送り届けた。片道で2時間以上かかった。そして、例会が終わる夕方まで、会館2階の将棋道場の脇にあるベンチで待ち続けた。

 対局の合間や昼食休憩で、母子が顔を合わせることはなかった。母親は、藤井が対局を終えて2階に降りてくる瞬間が最も緊張したそうだ。その表情によって、当日の成績がだいたい分かったという。母親の藤井の送迎は、中学に入学するまでの2年半にわたって続いた。

 後年に大棋士となった谷川と藤井。両者の奨励会時代には、母親の親心がともにあったのだ。

奨励会に「谷川をつぶす会」なるものがあった

 1973年5月に私こと田丸四段は、関西本部を訪れたときに奨励会の例会で、入会したばかりの谷川を初めて見た。度の強そうなメガネをかけていて、体はまだ小さかった。きちんと正座した対局姿は、大器の片鱗が早くもうかがえた。

 谷川は天才少年として注目されていたが、奨励会で当初はあまり勝てなかった。

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