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「ぼくのゆめは、しょうぎ名人だ」小学校3年での決意を21歳で現実に…「中学生棋士」谷川浩司と藤井聡太に共通する“母親の支え”

posted2022/06/15 11:00

 
「ぼくのゆめは、しょうぎ名人だ」小学校3年での決意を21歳で現実に…「中学生棋士」谷川浩司と藤井聡太に共通する“母親の支え”<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

若き日の藤井聡太五冠と谷川浩司九段には共通点があったという

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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 日本将棋連盟は5月23日、谷川浩司九段が十七世名人を襲位したことを発表した。1983年(昭和58)に最年少記録の21歳2カ月で名人を奪取。1997年に通算5期目の名人を獲得したことで、永世名人の資格をすでに取得していた。

 この称号は引退後に名乗るのが原則だが、将棋界への貢献や実績、4月に還暦を迎えたことが考慮され、現役中の襲位となった。田丸昇九段が谷川十七世名人の棋士人生について、自身の思い出を含めて2回にわたって記す。第1回は、少年時代から名人戦挑戦まで。【棋士の肩書は当時】(全2回/#2も)

兄弟喧嘩を止めさせるため教えた将棋で……

 谷川浩司は1962年4月6日に兵庫県神戸市須磨区で生まれた。父親の憲正さんは浄土真宗本願寺派の高松寺の住職だった。

 幼年時代は外で遊ぶよりも家の中で遊ぶのが好きで、5歳年上の俊昭さんとダイヤモンドゲームなどに興じた。兄弟は何かにつけて喧嘩した。それを見兼ねた父親は、文房具店で安物の将棋盤と駒を買って兄弟に与えた。喧嘩を止めさせるためだった。ただ父親は将棋をまったく知らなかった。百科事典を見ながら、兄弟に将棋のルールを教えた。

 兄弟は将棋にたちまち熱中した。先にうまくなったのは兄。弟は負けると悔しまぎれに駒を噛んだり、盤をぶつけることがあった。今でもその駒には噛み跡が残り、盤は少し割れているという。

 兄弟は時に喧嘩しながら毎日のように指し、ともに強くなっていった。父親が《将棋の好きな兄弟がいます。遊びにきませんか》と大書した紙を玄関に貼ると、小学生や中学生が何人か来たが、いずれも兄弟に敵わなかった。やがて、市内の将棋クラブに通うと、さらに上達した。

 谷川は8歳のとき、将棋イベントで内藤國雄八段に2枚落ち(上手が飛・角を落とす)で指導対局を受けて勝った。内藤は「あの子は強くなるよ。将棋の腰が座っていて迫力がある」と関係者に言って、谷川の才能を高く評価した。地元の新聞には《神戸に天才少年。須磨の谷川浩司君》という記事が載った。

「ぼくのゆめは、しょうぎ名人だ」

 谷川も棋士になりたいと思い始めた。小学3年のときに文集で、《ぼくのゆめは、しょうぎ名人だ。おとうさんは「おにいちゃん追いぬかしたら、しょうれいかい(奨励会=棋士養成機関)行きやな」と、いった。そんなに早く行きたくない。大山名人でも六年生のとき、はいったんだ。学校は休まなあかん。大阪までひとりで行かなあかん。でも、早く名人になりたい》と書いた。

【次ページ】 藤井五冠と共通する「母親の支え」とは

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