加藤一二三43歳から“21歳で名人奪取”、ライバル羽生善治の“七冠”を阪神大震災直後に阻止… 谷川浩司「光速の天才伝説」〈十七世名人〉

加藤－谷川は新旧の天才同士の対戦だった

　1983年（昭和58）の名人戦七番勝負は、43歳の加藤一二三名人に21歳の谷川浩司八段が挑戦した。ともに14歳で「中学生棋士」になった新旧の天才同士の対戦だった。

　若い挑戦者の登場にメディアも注目し、多くの報道陣が対局場に詰めかけた。関西のあるテレビ局はドキュメンタリー番組の制作で、前年から谷川に密着取材していた。現代の藤井聡太（五冠）に対するような過熱ぶりだった。

　世間は谷川新名人の誕生を期待していた。ただ棋士や記者の予想は、加藤有利の声が多かった。加藤が対戦成績で3勝1敗と勝ち越していた。また、谷川は順位戦以外の棋戦で特に実績がなく、タイトル戦への登場は初めてだった。

　谷川は、勝負に負けたとしても、服装だけでも勝とうと思ったという。タイトル戦で背広を常用している加藤に対して、7局分の和服を用意しておいた。先輩棋士からは、最初は慣れない和服よりも背広で指したほうがいい、とアドバイスされたが、全局で和服を着ることにした。実は、名人戦の対局の前に、別の対局で和服を着て練習してみた。

©BUNGEISHUNJU

すべての写真を見る（65枚）

　名人戦第1局は4月中旬、東京・赤坂の超高層ホテル「赤坂プリンスホテル新館」で行われた。対局室に現われた谷川は、紺の羽織に茶の袴で、堂々とした和服姿だった。一方の加藤は紺の背広姿で、心なしか表情が緊張気味だったという。

　戦型は当時の定番の戦法の「相矢倉」。谷川が先攻して攻め合いになった中盤で、加藤に疑問手が出て形勢が傾いた。谷川は着実に寄せて快勝した。

　名人戦の初陣を飾った谷川は後年に自戦記で、《スイートルームに泊まって、レストランで美味しい食事。あのときの私は「遠足気分」だった》と書いた。なお、名人戦の初勝利が縁となり、谷川は東京での対局で「赤プリ」を定宿にした。

指の震えをどうしても止められなかった

　谷川は名人戦の第2局と第3局で連勝。名人の奪取まであと1勝と迫った。以後は、加藤が2連勝して巻き返した。

　第6局は6月中旬に神奈川県・箱根のホテルで行われた。戦型は谷川の「ひねり飛車」。中盤で両者に疑問手が出て、二転三転の激闘が繰り広げられ、最終盤で谷川の勝ち筋となった。しかし、勝利と名人位を目前にした局面で心が揺れ動いた。

【次ページ】　「名人位を1年間、預からせていただきます」