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「私は独自のアイデアを持っていた」オシムの代名詞“走るサッカー”の本当の意味とは?「個人の走る能力は、羽生は別にして、佐藤勇人も阿部も平均以下だった」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph bySports Graphic Number
posted2022/05/18 06:01
ジェフ千葉や日本代表の監督として、日本サッカーに多大な影響を与えたオシム氏
「選手を育てては売るダイナミズム」は跡形もなく消え去った
ジェフというJリーグでごく平均的なクラブでも、欧州のトップクラブのように「走る」ことができる。羽生や阿部、佐藤勇人ら日本の若い選手たちも、現在のメッシやダニエウ・アウベスのように「走る」ことができる。そのことをあの当時すでに当然のように考えて、実現したことにオシムの革新性はあった。その意味では、たしかに「走る」ことこそが革命だった。
もしオシムが、あのまま監督に留まっていたら、ジェフ千葉というチームは一体どこまで行っていただろうか。あるいは、倒れることなく日本代表監督を続けていたら、どんなスタイルを完成させて、そこでジェフの選手たちはどんな役割を担っただろうか。
少なくともどちらにも、今より確固としたものが残っていただろう。だが現実には、彼がジェフで作り出した「選手を育てては売るダイナミズム」は跡形もなく消え去り、オシム・チルドレンと呼ばれた教え子たちも、阿部を除いて代表に定着することはなかった。
そして、オシム自身の全体像――方法論やコンセプト、サッカー哲学も、いまだにすべてが理解されたとは言いがたいと江尻は言う。
「自分が監督やコーチを経験していけばいくほど、あのときの言葉はこういう意味だったんだとか、グアルディオラがバルサで仕掛けていることを7年前にすでにやっていたんだとか、今だからわかること、これからわかることがまだまだたくさんあると思います」
そうである限り、これからもオシムは日本の進むべき道筋を照らし続けるのだろう。 <前編からつづく>
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