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オシム「子どもが何人もいるのに、彼はクビを切られるかもしれない」…側近が明かす、ジェフ千葉を強くしたオリジナルな選手起用術

posted2022/05/18 06:00

 
オシム「子どもが何人もいるのに、彼はクビを切られるかもしれない」…側近が明かす、ジェフ千葉を強くしたオリジナルな選手起用術<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

2005年のナビスコカップを制した際のオシム。そのスタイルは日本サッカー全体に大きな影響を与えた

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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人もボールも動くサッカー――。5月1日に逝去されたイビチャ・オシムさんのサッカーはそう称されました。それまで中位に留まっていたジェフ千葉の監督に就任すると1年目から優勝圏内へと押し上げ、'05年にはナビスコカップ優勝という大きな結果をもたらしました。その変革の意味を、当時の選手とスタッフの証言で紐解いた有料記事を特別に無料公開します。(全2回の前編/#2へ)
<初出:Sports Graphic Number 798号(2012年2月23日発売)、肩書などすべて当時>

「教祖だって妻は言うんですよ(笑)」

 あなたにとってイビチャ・オシムは? との問いに、羽生直剛は少し考えた後でそう答えた。現在、FC東京でプレーする彼は、ジェフ千葉でオシムに育てられたいわゆるオシム・チルドレンのひとりである。

「教祖という言葉は宗教がかって違和感もあるけど、サッカーの話をしながら、人生も一緒なんだって調子に乗ってしゃべると、『それオシムさんが言ったんでしょ』と言われる。プロ意識から何からすべてを叩き込んでくれた人ですから、それだけ僕には大きかった」

 また今季、レスターから浦和レッズに復帰を果たした阿部勇樹は、「僕にとってはずっと監督です」と言う。

「自分のすべてを変えてくれた監督。今でも会ったら監督って呼んじゃいそうだし、こんなプレーをしていたらオシムさんに怒鳴られるんだろうなという思いが常にあります」

 ジェフでオシムのアシスタントコーチを務め、現在はU-16日本代表のコーチである江尻篤彦は、「68m×105mというピッチの規格のように、何があっても変わらない真理のような存在」とオシムを評する。

「これからもサッカーは進化していくけど、彼に教わったものはその進化のベースに必ずあるのだろうと思います」

オシムの下でジェフは優勝争いの常連になる

 彼らにこうも言わしめるほどの影響を残したオシムは、ジェフで一体何をしたのか。彼がJリーグで成し遂げたことの意義は、どこにあったのだろうか。

 '03年のJリーグ・ファーストステージ。オシムを新監督に迎えたジェフは、いきなり優勝争いを演じた。前年は総合7位。それまでも2ケタ順位が当たり前で、過去に指揮を執ったズデンコ・ベルデニックやジョゼフ・ベングロシュら名将たちも、ここまで即効的な効果は上げられなかった。だが以降3年間、オシムの下でジェフは優勝争いの常連になる。

【次ページ】 結果以上にプレーそのものが衝撃的だった

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