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JリーグPRESSBACK NUMBER
「一緒にやっていた選手が凄すぎて…」名波浩らを擁した“高校サッカー史上最強”の清商レギュラー・西ヶ谷隆之が28歳で引退した理由
posted2022/05/21 11:00
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
YUTAKA/AFLO SPORT
アジアを舞台とする戦いへ向けて、日本人指導者がまたひとり海をわたる。Jリーグの複数クラブで監督やコーチを務めてきた西ケ谷隆之が、シンガポール代表監督に就任したのだ。
「いつかは海外で指導してみたいという気持ちは以前から持っていて、具体的に話が進んだのは今年の初め頃です。松本山雅FCのコーチを退任した昨年6月以降に、海外で監督をやる話があって、それはまとまらなかったのですが、サッカーというツールがあれば世界のどこにでもチャレンジできるんだな、と改めて感じて」
シンガポール代表を日本人が指揮するのは、吉田達磨前監督に続いてふたり目となる。前監督が2021年末でチームを離れると、シンガポール協会は「次も日本人監督で」との意向を日本サッカー協会に伝えてきた。西ヶ谷はサッカー協会から連絡を受け、前向きな返答をする。すぐにシンガポール協会の会長や強化担当者とのウェブミーティングが設定され、自身のサッカー観などをプレゼンテーションした。
そこから先は、1カ月以上の時間が空いた。「今回はないかな」と諦めかけたところで、先方から「最後の3人に残ったので、監督時代の映像を見せてください」という連絡が入った。
「僕自身が監督として一番特徴を出せたのは、2017年の水戸ホーリーホックだったと思っています。その映像を掘り出して、4試合分ぐらい送りました」
水戸で前田大然を成長させた育成手腕
Jリーグでの指導経験は、12年のアルビレックス新潟を起点とする。黒崎久志監督のもとでヘッドコーチを務めた。
翌13年からは水戸のヘッドコーチとなり、柱谷哲二監督を支えていく。15年途中に柱谷が成績不振で解任されると、監督に昇格した。同年は19位でJ2残留を果たし、16年は13位へ押し上げる。
17年は8節から20節まで13試合連続無敗記録を達成し、一時は4位まで順位をあげた。前半戦を7位で折り返し、最終的には14位でフィニッシュした。
プロ2年目の前田大然を松本から期限付きで獲得し、リーグ戦13ゴールをあげるまでに成長させた。水戸というクラブに「選手が成長できる」というイメージが定着していったのは、西ヶ谷の指導力と無関係ではない。