オリンピックへの道BACK NUMBER
高木菜那らが所属、名門・日本電産サンキョーが突然の廃部…選手も当日に知らされる“異常事態”はなぜ起こった?〈4月入社予定の高校生も〉
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJIJI PRESS
posted2022/03/02 17:03
清水宏保や高木菜那をはじめ、日本のトップ選手たちを輩出してきた名門・日本電産サンキョースケート部の廃部が発表された
実は、廃部発表のあった3月1日は堀川の高校の卒業式の日でもあった。廃部を知る前だったこともあり、式のあとには「スケートができる環境がある」と語りつつ、4年後へ向けての決意を明るい笑顔を見せていたという。その後に廃部が発表され、連絡を受けた。スケートに存分に打ち込めると思い描いていた場が突然に消えたのだ。動揺して不思議はないだろう。
なぜ“突然の発表”だったのか?
堀川のことを考えると、突然すぎて「いつ廃部が決まったのか」という疑問が出てくる。たとえ決定されていなくても、廃部へ向けての議論が以前からなされていたなら堀川を勧誘するのはおかしな話だ。北京五輪後に検討され始めたという話も伝わってくるが、もしそうだとしたら、北京五輪に出場した人数や選手があげた結果に不満だったのではと想像してしまうし、結局のところ、「支える」という理念より「成果」が大事だったと受け取られかねない。
よくよく考えれば、これはスピードスケートにとどまる話でもない。競技環境が盤石ではない競技は多い。その中で、日本では世界でもごく少数しかないと言われる「企業スポーツ」という形で支えられている競技もある。当然メリットもあるが、一方で今回のように会社の意向に大きく左右されてしまうデメリットもある。
古くて新しい問題でもあるが、歴史ある部がなくなることは、あらためてその課題を考えさせられる契機にもなった。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。